百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

10月4日~8日のはなし

■10/4(日)
インドではこの金曜日から日曜日の3日間がまた連休でした。今度はガンディーの誕生日です。おめでとうございました。

ところがこの土日はなーんにも予定がなく、さらにはお金もなく、再び部屋ででんぐり返しなどしていてもルームメイトも構ってくれないという状態。こうなると段々と鬱的思考になって、自分の将来に勝手に絶望したりしました。

いま自分はどうしてインドにいるのか、大学院に戻って何をやりたいのか、将来どうやって生きていくのか。

部屋にこもって頭の中で言葉をこねくり回しているとぐるぐるしてくるのですが、さすがに私もこの不安定で鬱々とした性格や思考回路に26年も付き合っているので、慣れています。自己否定しているようで自己愛の塊のような思考だなあと。笑
人生を自分でコントロールできる&自分の人生は大したものになるべきという考えが根底にあるから悩んでしまうわけで、こんなときは保坂和志でも読んどけって話です。
それに、そもそも自分のことを強く否定できるほどまだ真剣に物事に取り組めていない。

大学生の頃からか、だいたい毎年10月になると精神的にどっぷり落ち込むので、今年もこの季節が来たなあともはや感慨深い。
10月はインプットに力を入れる期間として、とにかく本を読むことにします。

 

■10/5(月)
とても漠然とした取り留めのない話。夜明け前後や冬の朝や徹夜明けの早朝が好きで、そんな朝に隣に友達や仲間や大切な人がいれば最高っていう話で、こういう瞬間を生きていきたいなあと思うんですが。

最近だと、西荻窪で朝まで飲んだ帰り道、空を見た時に幸せを感じたんですが、もうそうなると普通の会社員みたいな生活は間違いなく無理だよねっていう。(ちなみに平日でした)
なんですかね、もう水商売で稼いでいくしかないんでしょうか。

私にとってお金は、それで風雨を凌げる部屋を確保できることと、人と一緒に酒が飲めること(一人じゃなくて酒場でコミュニケーションしながら飲めること)において価値があるので、色んな居酒屋でタダで飲めることになったらお金がなくてもかなり満足すると思う。
映画も本も音楽も、居酒屋で映画好きや読書好きの友人を作って貸してもらえば良いし。その代わりに自分の持つ何かがその人たちに喜んでもらえるように、自分の何かスキルを提供できるように(例えばインド関連の知識とかヒンディー語のスキルとか人のコネクションとか)、お金を稼ぐということではなくて生きていけたらなあというのが理想なんですが。

坂口恭平の影響もあって、お金がないと生きていけないという前提をちょっと疑っているんですが、今のところ制度的には事実らしいので、じゃあ最低限のお金は得ようかねっていう。世知辛い。

 

■10/8(木)
2年半会社で働いて貯めたお金で2年間の留学計画が賄えない状況になっている、ということが学校のクラスメートに指摘され発覚しました。Sちゃんありがとう。
何を言ってるのか?つまり、貯金が足りなかったよ!ということです。計算ミス(掛け算を間違えた)をしたことで、「これだけ貯めれば2年行ける!」というボーダーラインの設定が間違っていました。ちゃんと電卓使ったのに。

電卓を使って必要な仕入れ量を計算したのにタピオカを12キロも過発注しまった学園祭の模擬店のように、あるいは数字を入れるだけで予算が作れるOさんシートを使ったのに宇宙的な予算を作ってしまったように、テクノロジーに頼りすぎては駄目だということです。