百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

いつか日本でランガルをやりたい

そのうち日本で食堂をやりたいなと思っている。

そこではインド料理を出す。インド人が家で毎日食べている豆カレーと野菜カレーとチャパティのセット。

これに値段はつけない。「お気持ち」でお金をもらう。

食べた人が、自分の懐具合や、お金を払いたいと思ったかどうかで、いくら払いたいか決める。
材料費や経費は公開する。でも原価分は払えってことじゃない。たとえばお金がない人や、料理やサービスに価値がないと思った人からはお金をもらわない。
もちろん全員がいつもタダで食べてるとそのうち続けられなくなるので、応援してくれるならお金はもらいたいと思うけど、その金額もその人の「お気持ち」次第。 

 

これを考えるきっかけになったのが、シク教徒のランガルと、坂口恭平だった。

 

人間の生活に必要なのは衣食住。
このうち「住」については坂口恭平が代表的で、3万円台で自分で家を建てるモバイルハウスを提唱している。
んじゃあ、私は「食」の分野で、誰でも生きていける、誰も排除されない環境を作ってみたいと思った。

「この仕事じゃ食べていけない」みたいな言葉を聞くことがよくある。
それって変だなと思っていた。衣食住以外のことに使うお金を稼げないのではなくて、最低限生きていくのに必要な「食べる」ことすらできない状態は、そういう状態に追い込む環境や状況は、おかしいと思う。
「食べて」いくために、やりたいことを捨てたり、過労死するほど働いたりするのは、どう考えても変だ。

だから、お金がなくても食べていける場所を作ろうと思った。
でも私は大金持ちではないから、一人で無償の奉仕活動を続けていくことは難しい。
じゃあ同じような考えの人たちや、私を応援したいと思ってくれる人たち、単純にお金がある人たちからお金をもらえばいいやと思った。

 

貧乏人もお金持ちも同じ空間で同じ食べ物を食べる、という思想は、シク教徒の「ランガル」という考え方・場所に体現されている。
ランガルでは誰であっても無料でご飯が食べられる。パルシャードもそうだ。なぜそれが無料かと言うと、人々がお金に余裕のある時に食材や砂糖菓子を寄付しているからだ。しかしそれは強制されるものではなく、「お気持ち」で自発的にされている。

 

こういうのをやろうと思ったわけです。

 

しかしインドは食材が安いけど、日本は高いからなあ。
食費を抑えて美味しくないものができたら本末転倒だし、私の今の料理スキルだとありあわせのものでカレーを作ることができないから、まだ難しいね。

 

というわけで、まあ、いつか自分でもやるけど、このアイデアはがんがん拡散してくれたほうが良いのでやりたい人はやってください。笑

 

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