百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

3月13日 間に合う

今日をずっと3月14日だと思って過ごしていた。役所に出す書類にも、担当者の目の前で3月14日と書いたし、誰もそれを咎めなかった。自分が心の底から信じ込んでいれば嘘も真になるのだね。

 

そういうわけで確定申告を今年も無事に終えた。

今年は初めて税務署まで直接提出に行った。職員さんは穏やかな人が多く、私の思い浮かべる監査の無機質な雰囲気とはまるで違っていた。

税務署に行ったのはついでに青色申告申請書を出したからで、今まで白色で楽をしていた私も今年の収支はいよいよ青色で出すことになる。

 

さらについでに開業届を出した。本来なら3年くらい前の開業時に出していないといけない書類である。怒られるかとビクビクしていたが、窓口のおじさんはやはり穏やかだった。

「いつ開業したのか忘れたんですが提出できますか?」という私のすっとこどっこいな問いにも「まあなんとなくで書いてもらえれば」と役所らしからぬグレーな回答をくれてありがたい。お言葉に甘えてなんとなくで書いた。

 

一歩踏みだしてみれば拍子抜けするほど簡単だったり、恐れていたような事態にはならなかったり、なんとかなることは大いにある。

 

そうやって「間に合ったー」と控えの用紙をがさがさ言わしながら帰っている途中にふと、「今やらなくてはもうこの人生に間に合わない気がする」と言っていた人のことを思い出した。その感覚はとてもよくわかる。

そんな話を聞いたのは2021年の夏だったと思うけど、あの頃の彼は本当に、なんていうか、孤独と焦りと地に足のつかなさと自分が自分の人生に置いていかれる感覚をいっぺんに味わっていたんじゃないかな、とふと思った。

今はどうなんだろう? 今もその人からは虚しさや、焦燥感に似た落ち着かなさを感じることがあるけど、でもあの頃よりましだといいな。諦めたりスレたりしてないといいな。

取り返しのつかないことなんて死ぬ時以外にないのだから、決断さえできればいつでも自分の人生に間に合う。少なくとも私は彼が「間に合う」ことを信じている。

 

決断するって、自分の選択ひいては自分の人生に自分が責任を持つことだと思う。

自分がこれを選んだのだと胸を張ることだと思う。

 

…なんて、3年以上前の事業の開業届を「怒られるかも」と恐る恐る今日出した私がかっこつけて言っても様にならないんですけどね。

 

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3月9日 日々のトキメキ矢のごとし

2月がぽんと飛ぶように過ぎた。そういえば2月は短いのだった。

 

2月は私の誕生月で、一年で一番好きな季節なので、日々が楽しくて仕方なかった。

特に今年は「日常にわくわくしてときめいて生きる」なんてことを目標に生きていることもあり、例年よりもわくわく倍増、もやっとすることもすぐ解消しながら過ごした。

 

2月28日の誕生日の前に友達が誕生日会を開いてくれた。

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誕生日当日もなじみのバーに押しかけて祝ってもらった。押しかけ強盗のごとく、来る人会う人みなに「今日誕生日なのー!」とこちらから声をかけて祝ってもらう。図太い神経の持ち主でよかった。

 

自分へのプレゼントにインクを買ったりマッサージに行ったり、数年前では考えられないような自分の可愛がり方をした誕生日だった。これまで私は全然自分に興味を持たず、愛情をかけずにいたんだなあと思う。今のほうがずっとずっと楽しい。

 

3月に入ってからもそんな楽しい日々が続いてる。いやぁ今年は誕生日フィーバーが長く続きますねえ。

久々に彼と西荻窪三鷹を離れて都心の居酒屋で飲んだ。注文すると10秒で手元に生ビールが運ばれてくる。安いたこやきをつつき、西荻の某店と違ってタコもちゃんと入っているねえ、なんて話しながらガブガブと酒を飲んだ。安い赤提灯の店は値段を気にせずたっぷり飲めるから楽しい。

 

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書きたいことがたくさんあって、でも、とりとめのない話ばかりだ。そのために雑記帳があるというのに。これからはもう少し間隔を空けずに更新していきたい、なんて毎回思うことを今回も思った。

 

 

 

 

1月28日 生と死を見送る

おじさんが死んだ。告別式に出た。

 

言葉にできそうでできない塊、もやっとしたものが喉元にはりついている。

自分の未来というか、未来を生きていくときに横にいてほしい人について、考えた。

 

私は今まで充電ケーブルというか、愛情をたくさんもらい、たくさん注ぐ相手として私の母を選んできた。

だけど母はずっと隣にはいられない、私の進んでいく未来に行けない、「世代」や「立場」が違うのだ。一言でまとめると「母が老いていく」ということがやっと腑に落ちた。

母は私になにかを継承する側であって、継承される対象ではない。

愛情をたくさんくれていることに感謝して一部を親孝行として恩返しすることはできても、もらった愛情以上の量を(もしくは私なりのスパイスを加えた性質の異なる愛情を)注ぐ相手は母ではなかった。

 

だから母にさしているケーブルを私は別の誰かにさしなおす必要があるんだと、なんだかそんなことを思った。

 

私はきっと、愛する人と一緒に何かを育て、継承していきたいのだと思う。その何かは「子供」である可能性が高いし、でもそうではなくて「作品」とか「地域コミュニティ」とかそういう類のものかもしれない。

子供を持つというのは、ずっと認めてこなかった自分の中の願いだった。母になることは自分が自分ではいられなくなるような恐怖を感じることだったから。

それが今は不思議なくらい溶けていて、真正面から向き合えるようになった。

 

人の死を目の当たりにして生を願うなんてあまりにも出来すぎているなと我ながら思う。

 

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1月23日 日々があたらしい

年が明ける前から、たぶん帰国してからずっと「毎日あたらしいな」という感覚がある。

竹内まりやのように毎日をスペシャルだと感じるほどの感性はまだ育ってないけれど、今のところ日々がちゃんと別々のあたらしい日として私の前に現れている。

当たり前のように聞いてきた「同じ日は来ない」なんてことを34年近く経ってやっと体感できるなんて、遅いのだか早いのだかわからないけど。

 

そんな生活の中でライブにおいでと誘われて見てみたらタイトルが「新しい日々」。

誘ってくれた人の持ち歌にそんな曲もあるので彼が付けたのかと思ったけど、そんなことはなく、ライブハウスのブッキング担当が付けたのだろうとのこと。

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見に行き、三者三様のライブにわくわくする。ひさびさにライブハウスでやるライブらしいライブを見た気がする。

 

あんまり良いライブができなかったと落ち込む氏を励ましつつラーメンを食べて帰る。今日もあたらしい一日だった。日々に発見があふれていて、嬉しい。

 

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1月5日 明けていた

新年あけましておめでとうございます。

この挨拶はいつまで許されるものなんだろうかと思いつつ、今年もどうぞ宜しくお願い致します。

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12月に日本に帰国したけど、そこから日記を書いてなかった。正確には、紙の日記は毎日つけているのでこのブログを更新してなかったということ。

インドでは前回記事でコルカタを経由したあと、南下してプリーで過ごした。海沿いの暖かい町で、食べ物はすべて美味しかったし、人も優しかった。数年前からの知人とも再会してにこにこと滞在した。

それでもコルカタの魅力に取り憑かれていた私は、3日ほど経ったら居ても立っても居られず、早々にコルカタへ戻って帰国までの日々をそこで過ごした。

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インドでの日々の熱がまだ心の中に宿っていて、日本にいても以前と視点や感覚の異なるのがわかる。

ずっと温かいままのホッカイロみたいにじんわり心の奥に熱がある。すごく、すごく、嬉しい感覚。

 

 

2022年の年越しも最高だった。好きな人たちのにこにことお酒を飲む姿や歌う姿を眺め、手を叩いて喜び合って、そうして年を越した。

2023年の元日も最高だった。ありがたいことに年々、過去最高を更新してくれている。彼とお雑煮を食べて煮物をつつき、私は実家へ帰省。翌日には東京に戻って大好きなマスターたちと新年会。

 

そんな良き年明けだった。

今年は日々の暮らしにどきどきする年にする。非日常ではなく日常にどきどきわくわくする。今の私ならできる。インドから熱を持ち帰ってきた私なら。

 

誰にとっても、良き一年となりますように。

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11月26日 知らない街

デリーを出てコルカタにやって来た。

インド四大都市(デリー、ムンバイ、チェンナイ、コルカタ)の一つで、人口密度も高く、道は店と人で埋め尽くされている。

10年以上前に2週間ほどコルカタにホームステイしていたことはあったけど、久々に歩いたこの街は全然知らない場所のようだった。

事実、私はコルカタのことを全然知らない。ホームステイしていた期間が勿体ないくらい何もコルカタの歴史や風土を知らない。

 

「知らない」ということを素直に認められるようになったのは、ここ数年での大きな変化だと思う。かつて私は知ったかぶりで、物事を知らないことは恥ずかしいことだと思っていて、会話についていくためだけに興味ないジャンルの知識を取り込んだりした。

失礼なことをしていたなあと思う。ジャンルにも、人にも、私自身にも。

 

ところで、知らない街なのに妙に懐かしかった。知らないのに知っている気がした。日本のたばこ屋さんよりもさらに小さな店に座ってチャイや小物を売るおじいさんの顔を昔から知っているような気がする。

前世というものがあるなら私はたぶん19世紀末〜20世紀前半のコルカタで過ごしていたんだと思う。

 

胸をきゅうきゅう締めるような懐かしさと、知らない物事の溢れる道を歩く新鮮な喜びにとりつかれて、ひたすら夜の街を歩いた。

 

 

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11月18日 身体の中で言葉が熟す

言葉が熟すまで時間がかかるタイプなのだと思う。だからぱっぱっと丁々発止なやりとりをするにはむいてない。自分が何を言いたいのか、わからなくなってしまうから。

 

少し前まではそれが嫌だった。ぱきぱきと面白い掛け合いをしている飲み仲間たちを見ては、私も私もと背伸びをして会話に加わって疲れたり。「オチは?」と聞かれると自分の言葉が未熟でつまらないと言われているような気がして、あらかじめ起承転結をつけた「すべらない話」を用意したり。要領を得ない自分の言葉に自分で落ち込んだり。

 

最近はそういうことがなくなった。ウィットに富んだ切り返しが毎回できなくても、水で薄めたような言葉を発するよりマシだと思うようになった。

(私が発するとだいたい薄くなるという意味で、濃いままやりとりできる人たちは沢山いる)

 

私の言葉は、身体の中で、時間をかけて熟れていく。体系をもたない言葉の切れ端がやがて形になり言葉になり現れる。それを表す。

向いているのは文章を書くこと。得意だし、書くこと自体がとても好き。

そして、ぐちゃぐちゃな言葉、感覚のまま体系を持たず口から飛び出してくる拙い言葉たちも好きで、それを「で?」とか「オチは?」とか「噛み合ってない」と言わず、急かさず、ただ聞いてくれる人たちのことも大好きだ。ありがたいと思う。愛しいよ。

 

私は自分ではないものになろうとしなくていいのだと強く思う今日この頃。

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