ありゃまもう8時か。二度寝をしていたらこうなった。早くお弁当を作って身支度して家を出ないといけないので書く時間が少ない。やむなし。二度寝だもの。
二度寝は好きなほうだ。お布団でうとうとまどろんでいる時間が好きだから、寝てるのか起きているのかわからないふわふわしたあの時間の先にある二度寝も三度寝も愛している。昔々パートナーは「二度寝は君のつとめ」という名言を発した。まだ二度寝に罪悪感を覚えていた当時の私はその言葉に救われたのだった。今でもその名言を心に刻んでいる。二度寝は私のつとめ。
昨日のうちにお弁当の下拵えは済んでいるので今朝は少し余裕がある。閉店間際のスーパーで買い物するのが好きなので、昨夜も台風の風雨が迫るなかウォーキングがてら少し遠くにあるスーパーに出かけて割引のお刺身などを買い、家に戻ってからツナを作るなどの作業をした。閉店間際のスーパーは食材の安さだけではなくて、なんというか雰囲気がいい。店員さんたちの「あともう少し」という疲れと期待の入り混じる空気に、仕事後の彼らの生活のことを思う。彼らにも家族がいたり帰る家があったりすることに、胸がきゅっとなる。時に「早く商品を選んでレジに並んでくれ」と懇願するかのようなあるいは殺気のような気配を放っている店員さんもいて、それほど深く疲れながらも働いてくれていることがありがたいと思いながら、閉店後の彼の帰宅と寝るまでの時間が健やかなものでありますようにと軽く祈りを投げてみたりする。
人の夜の時間(仕事が終わった後の家での暮らし)を想像することが好きで、そういうものを感じやすいのが閉店間際のスーパーと、帰路につく人々の群れる通勤ラッシュな駅で、ただし駅のほうは私が人酔いしやすい体質なのであまり近づかないようにしている。またまた昔々の私が会社員だった頃、電車の混雑がどうしても苦手で、田町のオフィスまでわざわざ井の頭線を使って渋谷を経由して通っていた。今でも中央線は苦手だ。どうしても乗る必要がない限りは総武線に乗ることにしている。
その点、閉店間際のスーパーは人も割とまばらだし良いよ。蛍の光が流れるのを聞きながら、私たちお客が帰った後も品出しやら整理やらいろんな作業が彼らを待っているのだろうなと思いを馳せながら買い物する。私の頭の中はいつもこんなふうに他人の暮らしや人生への興味に溢れていて、だからライフストーリー研究なんてものをやっているわけだけど、10人いれば10通りの人生と価値観のある世界にいま私という個体が生きている、この世界と人間ってなんて面白いんだろうと思いながら買ったひじきを炒めたりマグロを油で煮たりした。
良い夜だった。
追記ですが、書いて書いてライターズハイになっている今日この頃、noteのほうで新連載を始めました。ずばり「恋愛を通して自己対話を深めて生きやすくなるには」みたいな感じです。みなさんご存知かどうか知りませんが、私は恋愛至上主義でして、恋愛を通して自分と向き合って成長してきたことが多いからです。
最近実はちょこちょこと恋愛関係のご相談DMをもらったり、感想のコメントを頂いたりしています。励みになるのですごく嬉しいです。その中でよくある質問が「パートナーシップについてどういう捉え方や向き合い方をして現在にいたるのか」というもので、そのつどなるべく同じことを個別に説明しているのですが、コピペみたいになってきてて申し訳ないなという気持ちがあります。このブログの日記形式だと体系的説明にならないで事例説明ばかりになってしまうのが問題だなあと思ったので、noteのほうにまとめるか!と思い立ったわけです。
心理学と脳科学ベースの話ですが、アドラー哲学なんかも関係しているし、主観的世界のあたりは構築主義的社会学も援用しているので、まあ理論好きな人は面白く感じるかもしれないです。スピ系の人にも「理論に落とし込むとこういうことなのか」と納得してもらえるかも、と思いながら書いてます。
(ちなみにスピ系について否定も肯定もしませんが、私の拠り所は輪廻だとかツインレイだとかのオカルト的なスピ系ではないし、そういうのとはむしろ相性悪いかもしれないです、とだけ)
もしご興味あれば覗いてみてくださいな。
恋から始める自己対話シリーズ|岡本優(岡本インド研究所)|note(ノート)
恋から始める自己対話シリーズ|岡本優(岡本インド研究所)|note
よろしくお願いします!