百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

10月13日~22日のはなし

■10/13(火)
ドゥルガーという神様のお祭りが始まりました。なんと今日から9日間やるそうです。

学校の友達が家に遊びに来たので駅まで送る途中、人々が踊りながら道を歩いているのを発見。思わず一緒に踊っていたらおばちゃん軍団に周りをがっちり固められ、その輪から出られないまま踊り続け移動。結局、一駅隣の町の寺院まで行ってしまった。
着いた場所はプージャー(お祈り)の会場らしく、「もうすぐプージャー始まるから参加してみなさい」とのことで約1時間半ほど待機し、ドゥルガープージャー開始。儀式の意味はわからなかったけど、とても興味深い体験ができました。
トイレに行きたくて仕方なかったことを除けば、本当に楽しい体験でございました。

 

■10/15(木)
先日踊りながら流れ着いたプージャーの会場に毎日通い、子供たちやおばちゃんたちと毎日アホみたいに踊っています。
パンジャービーダンスを踊っていたら、ベンガル系らしいおばさんから「こっちのほうが良いわよ!」とベンガーリーダンスを披露され、レクチャーを受けました。手の動きがちょっと盆踊りに似てます。

明日はキルタンと呼ばれる儀式があるそうで、女性だけで深夜まで踊り狂うんだそうです。リーダーっぽいおばちゃんに「アンタもおいで!」と言われたのですが、下宿先の門限の都合で無理そうです。残念。
ちなみに今日の儀式ではドゥルガー像にお供物の砂糖菓子を食べさせる(フリの)儀式をしていました。ドゥルガープージャーは9日間続くお祭りですが、儀式やお供物は毎日違うんだそうです。

今日は踊り狂ったあとにリーダー格のおばちゃんの家でコーヒーをご馳走になったのですが、薄々感じていた通り、このプージャーはスラムのコミュニティの人々が開催してるもののようです。ドゥルガー像はみんなでお金を出して買ったとのこと。
とはいえ、本人たちが「スラム」と呼んでいるわけではなく、「Slum Study Center」という看板の掛かった家があったのでスラムなのかなと考えているだけですが。

とりあえず、私の両手両足が一緒に動いてしまうロボットダンスでも「良い踊りね」と温かく受け入れてくれるここの住人たちに感謝。いっそ流行らせようと思ってます。

 

■10/17(土)
学校の友人に「Japan Fundation」というものの存在を教えてもらい、そこに図書館があるというので出かけてきました。登録に必要な書類や写真があることは予め聞いていたので、当日その場ですぐに利用登録できました。
自宅から取り寄せて読もうかと思っていたU.ブターリアの「沈黙の向こう側」が置いてあったので早速借りることに。さらには保坂和志の「生きる歓び」まで置いてありました。保坂和志の本が他にもあるかなと探してみたんですが、この一冊しか見つからず。この図書館の選書係の人がなぜこの本をチョイスしたのか不思議ですが(芥川賞作家だからという理由なら「この人の閾」を置く気がするし)、個人的にはまだ読んでない保坂氏の本をインドで読むことができるので、嬉しいです。
もしこの図書館の選書にリクエストができるなら、保坂氏の「未明の闘争」や小島信夫の小説も置いてほしい。。

 

■10/22(木)
9日間のドゥルガープージャーも本日ようやく最終日。毎日踊り狂ったおかげで過去最高の筋肉痛を患っています。

最終日の本日は朝まで踊るらしく、23時過ぎに踊り子さんたちまでやってきました。「一緒に朝まで踊るわよ」と言うおばちゃんたちの包囲網をかいくぐって先ほどようやく帰宅。疲れた。
(普段は門限があるんですが、今日は大家が実家に帰っていたので、使用人に頼んで門を開けておいてもらいました)
明日は「ランガル」という炊き出しみたいなことをやるみたいで、でっかい鍋に今晩から仕込んで明日の朝に完成するとのこと。おばちゃんたちは踊りで忙しいので、作るのは主にお兄さんたちです。

このでっかいドゥルガー像はヤムナー川までトラックで運んで、みんなで沐浴して川に流す(ヴィサルジャンという儀式)らしいです。というわけで私もトラックの上で踊りながらヤムナー川まで行くことになりました。
こうやって川の水は汚染されるんだなあとしみじみしつつ、そこで沐浴することだけはなんとしても避けようと思っています。

 

10月4日~8日のはなし

■10/4(日)
インドではこの金曜日から日曜日の3日間がまた連休でした。今度はガンディーの誕生日です。おめでとうございました。

ところがこの土日はなーんにも予定がなく、さらにはお金もなく、再び部屋ででんぐり返しなどしていてもルームメイトも構ってくれないという状態。こうなると段々と鬱的思考になって、自分の将来に勝手に絶望したりしました。

いま自分はどうしてインドにいるのか、大学院に戻って何をやりたいのか、将来どうやって生きていくのか。

部屋にこもって頭の中で言葉をこねくり回しているとぐるぐるしてくるのですが、さすがに私もこの不安定で鬱々とした性格や思考回路に26年も付き合っているので、慣れています。自己否定しているようで自己愛の塊のような思考だなあと。笑
人生を自分でコントロールできる&自分の人生は大したものになるべきという考えが根底にあるから悩んでしまうわけで、こんなときは保坂和志でも読んどけって話です。
それに、そもそも自分のことを強く否定できるほどまだ真剣に物事に取り組めていない。

大学生の頃からか、だいたい毎年10月になると精神的にどっぷり落ち込むので、今年もこの季節が来たなあともはや感慨深い。
10月はインプットに力を入れる期間として、とにかく本を読むことにします。

 

■10/5(月)
とても漠然とした取り留めのない話。夜明け前後や冬の朝や徹夜明けの早朝が好きで、そんな朝に隣に友達や仲間や大切な人がいれば最高っていう話で、こういう瞬間を生きていきたいなあと思うんですが。

最近だと、西荻窪で朝まで飲んだ帰り道、空を見た時に幸せを感じたんですが、もうそうなると普通の会社員みたいな生活は間違いなく無理だよねっていう。(ちなみに平日でした)
なんですかね、もう水商売で稼いでいくしかないんでしょうか。

私にとってお金は、それで風雨を凌げる部屋を確保できることと、人と一緒に酒が飲めること(一人じゃなくて酒場でコミュニケーションしながら飲めること)において価値があるので、色んな居酒屋でタダで飲めることになったらお金がなくてもかなり満足すると思う。
映画も本も音楽も、居酒屋で映画好きや読書好きの友人を作って貸してもらえば良いし。その代わりに自分の持つ何かがその人たちに喜んでもらえるように、自分の何かスキルを提供できるように(例えばインド関連の知識とかヒンディー語のスキルとか人のコネクションとか)、お金を稼ぐということではなくて生きていけたらなあというのが理想なんですが。

坂口恭平の影響もあって、お金がないと生きていけないという前提をちょっと疑っているんですが、今のところ制度的には事実らしいので、じゃあ最低限のお金は得ようかねっていう。世知辛い。

 

■10/8(木)
2年半会社で働いて貯めたお金で2年間の留学計画が賄えない状況になっている、ということが学校のクラスメートに指摘され発覚しました。Sちゃんありがとう。
何を言ってるのか?つまり、貯金が足りなかったよ!ということです。計算ミス(掛け算を間違えた)をしたことで、「これだけ貯めれば2年行ける!」というボーダーラインの設定が間違っていました。ちゃんと電卓使ったのに。

電卓を使って必要な仕入れ量を計算したのにタピオカを12キロも過発注しまった学園祭の模擬店のように、あるいは数字を入れるだけで予算が作れるOさんシートを使ったのに宇宙的な予算を作ってしまったように、テクノロジーに頼りすぎては駄目だということです。

9月24日~26日のはなし(ハリドワール弾丸旅行)

金曜日がイードのお祭りで祝日だったので、学校の仲良しのクラスメートと二人で弾丸旅行してきました。
ガンジス川の上流にある街、ハリドワールと、そこから少し足を延ばしてチベタンコロニーのあるデラドゥーンという街へ。

弾丸どころか、行きのチケットはかろうじて取れたものの帰りの列車のチケットが手に入らなかったので「帰り方は現地で考えよう!」というほぼノープランの旅行でしたが、一緒に行った友人もこういうノープラン旅行を楽しめるタイプの人だったので良かったです。

ハリドワールのガンジス川は想像以上に綺麗でした。ガンジスの水がエメラルドグリーンだと言われているのがよくわかった。
ヒンドゥーの巡礼者が詰めかけてガートも人ごみですごいことになっているのかと思いきや、それほどでもなく、恐らく観光するのに一番良い季節だったのかもしれません。

デラドゥーンはウッタル・カンド州(ハリドワールもここにある)の州都です。ハリドワールからはバスで2時間ちょいで行けます。デリーほどではないけどショッピングモールがある都会なんですが、ここにはチベット人の集落(クレメントタウンという)があって、チベタン寺院の見学や美味しいチベット料理を堪能してきました。
もっと時間があればさらに足を延ばしてマスーリーまで行けたんでしょうが、それはさすがに疲れそう&思った以上にチベタンコロニーが楽しかったので、3~4時間くらい滞在してハリドワールに帰りました。

ハリドワールで寺院に行こうとしてうっかり登山したり、ガネーシャ祭りに巻き込まれたりもしましたが、ノープランだと「絶対にこれしなきゃ!」みたいなあくせくした気持ちで観光しなくて済むので、ハプニングも楽しめて良かったです。
それに、基本的にずっとヒンディー語を喋ることになったので良い会話練習になりました。

ちなみにデリーには長距離バスで帰ることになりました。6時間半くらい掛かりましたが、前日ならほぼ確実に席が取れるし、なんなら当日でも座席の空いている確率が高いので、ノープラン旅行には列車よりバスをおすすめします。(特に、学生ビザだと列車を外国人枠で予約できないので)

9月17日~20日のはなし

■9/17(木)
昨夜は遅くまでだらだらしていたこと+目覚ましをかけ忘れたことで、朝起きたらなんと10時でした。わーい。10時半から授業だー。
基本的に朝は苦手で、目覚ましと気合いやら義務感やらがなければ起きられません。(会社を辞めた理由の一つという説もあります)
そういうわけで本日は潔く学校を諦め、今日は家の近くをずっとウロウロしていました。

そういえば一昨日の話になりますが、ずっと欲しいと思っていたSIMフリーのUSBドングルをついに購入しました。(USBポートに差してインターネットを使うUSB型データカード。wifiも飛ばせる)
これの活用法については別に詳しく記事を書きたいと思いますが、SIMフリーなので日本の格安SIMカードも使えるはず。日本に一時帰国するときに有効活用できそうな予感です。

で、そのドングルに差して使っているairtelの3Gプリペイドのチャージをしたり、学生向けっぽいレストランに入ってみたら意外と学生向けではなかった(高かった)りして、学校に行かなかった反動か結構派手にお金を使ってしまった日でした。
とはいえ、一日だいたい150~200ルピーで過ごせるところを500ルピーくらい使ってしまったという話なので、日本円に直せば非常に安いんですけどね!(1ルピー=約1.8円)
もはやインドの学生としての物価感覚に慣れすぎて、一食に200ルピー以上払うと「高いなあ」と感じてしまう有様です。

夕方は家の近くのグルドゥワーラー(シク教寺院)に行ってまったり。礼拝だけして、ぼんやりしてから帰るつもりだったのですが、礼拝後におばあちゃんからプラサードとしてジャレービーとビスケットまで頂いてしまいました。
ジャレービー美味しかったけど「あ、これお腹壊しそう」と直感したので二口ほどで辞めておきました。おばあちゃん、ごめんね。。

 

■9/18(金)
学校帰りに友達とバングラ・サーヒブに行き、二日連続でのグルドゥワーラー訪問となりました。

昨日書き忘れましたが、グルドゥワーラーというのはシク教徒の寺院のことで、シク教徒が住んでるエリアにはほぼ必ず1軒はグルドゥワーラーが建っています。
デリーは、1947年のインド独立時にパンジャーブ地方から流れてきた移民が多く(※)、パンジャーブ州を除く他の地域と比較してシク教徒の居住率が非常に高い為、グルドゥワーラーもあちこちにあります。
そのデリーのグルドゥワーラーの中でもひときわ大きく、最も有名な寺院がこの「バングラ・サーヒブ」です。

実は私は"宗教暴動"(communal condlict)の研究として、1984年にデリーで起こった暴動の調査をしていたことがあり、3年前の現地調査でグルドゥワーラーを拠点に何人かのインフォーマントに出会い、お蔭さまで非常に貴重な知識や経験を得ることができたのでした。
なので自分にとって、バングラ・サーヒブに限らずグルドゥワーラーはとても特別な場所で、落ち着いてまったり過ごせる大好きな場所でもあります。

それでもシク教徒の作法に関して知らないことがまだ沢山あるなあと感じる昨今。頂いたプラサード(器に入ったハルワー)に切れ目を入れてもらうという作法も今回初めて知りました。まだまだ勉強が必要です。。

(※1947年のインド独立はインドとパキスタンとの分離独立で、現在のインドとパキスタン両国家にまたがるパンジャーブ地方に国境線が引かれたため、パンジャーブ地方からは約10万人ともいわれる難民が発生したのでした。なお、シク教徒の聖地のひとつは現在パキスタンパンジャーブ州に位置し、現在もシク教徒の集団が住んでいるコロニーがあるとのことです。この事実から見てもパキスタンムスリムだけが住んでいる「イスラーム国家」ではないのですが、一部のヒンドゥー過激主義は「パキスタンイスラーム国家ならインドはヒンドゥー国家となるべき」と主張し、ムスリムをインドから追い出すorヒンドゥーに改宗させるべきとの持論を展開しているグループがあります)

 

■9/19(土)
学校が休みの土日には、いつも忙しかったり疲れていたりしてなかなか読めていない本を読んで過ごしています。が、だいたい2時間も本を読むと飽きてくるので、ベッドの上でもんどりうったり体操したりでんぐり返しをして過ごしました。

そうこうしているうちに夜となり、延々と続いたこの奇行を見かねたルームメイトが「一緒に散歩しよう」と、なんとバイクで近場のちょっとしたマーケットまで連れて行ってくれたのでした。

ちなみにルームメイトは女性です。スクーターではなく普通のバイクに女性が乗っているのは個人的に憧れる光景なので、「うひょー!すっ飛ばせー!」なんてテンションだだあがり。
とかやってると、マジものすごい速さで車やオートリキシャーを追い越そうとするので「ちょ、ちょ、待っ…!」と声にならない悲鳴をあげる羽目になったのでした。
最終的には彼女が反対車線を走り始めたところで私の寿命が数年分は縮みました。彼女の弁によると「中央分離帯が邪魔で向こう側の車線に行けないから仕方ない」とのことです。
インド政府は今すぐ国内の中央分離帯を撤去するか、免許取得時に「中央分離帯がある場合は、正しい進行方向に沿ってUターン可能な交差点まで進むこと」を徹底的にご指導いただき度。

 

■9/20(日)
今日でインドに来てから1ヵ月が経ったのだなあとしみじみしている岡本です。
これまで毎日書いていた日記ですが、1ヵ月は続けたことだし、今後は不定期に、さらにトピックも日々の記録に限らず色々な備忘録として活用していこうと思った次第です。

さて、本日も特にやることはなく、ベッドの上ででんぐり返しなどをして過ごしました。
昼頃に「これではいかん!」と思い立ち、昨日の夜にバイクで連れて行ってもらったマーケットまで徒歩で行くことにしました。
デリーでは、そろそろ酷暑期が過ぎて朝と夕方はだんだんと風が気持ちよくなってきたとはいえ、昼下がりはまだまだ暑い時間帯です。
そんな時間帯に30分近く徒歩で移動するのはアホの極みですが、私はアホなので、歩いてムケルジーナガルのマーケットまで行ってきました。
アホとはいえこのマーケットに出かけた目的もちゃんとあります。インド映画のDVDが欲しいと思っていたので、学生街の端っこにあり、若者が多いこのマーケットならDVDの売ってる店が見つかるだろうと思ったのです。(下調べはしていない)

結論から言うと、DVDを売っている店は見つかりませんでした!
代わりに、ハードディスクに映画をコピーしているお店を2軒ほど見つけました。なるほど、こうやって映画を見る方法も存在するのか。

勿論ですがこれらは違法DLです。自分は映画好きのただの凡人ですが、このような違法DLや海賊版DVDの存在が映画産業に少なからず悪影響を与えていることは知っているので、それらを決して肯定的に捉えることはできません。
また、200ルピーや300ルピーの純正DVDを買う余裕がない人々もいることは理解してますが、その店に並んでいた人はそこまで貧困層に見えなかったし、大学生風の男性もその店で順番待ちしているようでした。
貧困でDVDを買えないというよりかは安く映画を見たいという人が多い印象を受けます。
日本では映画産業が斜陽産業になったりCDが売れないことが問題になったりしていますが、そのうちインドでも映画DVDの売れ行きや映画館の入りが問題になったりするのでしょうか。

9月14日~16日のはなし

■9/14(月)
ボパールから帰って初日の授業、さすがに疲れもありますが、みんな来てるだろうし行くか!と気合いれて登校したらボパール行った生徒のほぼ全員が休みだったよ!なんてこったい!

さらには先生から「感想文書いて出しな」と言われ、ほとんどのセミナーで寝ていた私は非常に焦っているわけです。
しかし必要は発明の母、ひらめきでピンチを切り抜ける力だけは無駄にあります。家に帰ってからネットで会議の新聞記事を探し、それをちょっとアレンジして感想文に仕立てあげる。よし、これで大丈夫だ。…やってることが小学生のときの読書感想文からたいして進化してなくて悲しいよ!

ところで日本の家族からDHLで荷物を発送してもらったんですが、どうもインドの場合は通関時に本人のIDや住居証明が必要になるらしく、FRROの時と同じように書類のアップロードとかいろいろまた対応する必要が出てきました。
ほんと何から何まで面倒くさい国だなあ。。嫌いじゃないけど。笑

 

■9/15(火)
DHLの荷物受け取りのための手続きをとるため、学校の授業をさぼってネットカフェへ。
学校の近くには「カトワリア・サラーイ」というエリアがあり、バスもそこのバス停で乗り降りしているんですが、その路地に入ったのは今日が初めて。雰囲気はパハルガンジの路地と似てますが学生街の近くということもあって、狭い路地に安い定食屋や本屋、文房具屋、携帯ショップなどなどが密集していました。面白かったな。

ネットカフェはカトワリア・サラーイのかなり奥まで進んだところにありました。なんと60分で10ルピーという破格のお値段。ただ、場所がかなり奥まっているのでヘビーユーズするかは微妙です。

さて、DHLのサイトで通関に必要な書類(PASSPORTなどの身分証明書とRENT AGREEMENTなどの住居証明書)をアップロードするだけの簡単なお仕事ですが、ここで問題が発生。
パスポートナンバーを入力する箇所に8桁までしか入らない!!笑
日本のパスポートはアルファベット2文字と数字7文字が標準のはずなので、どう頑張っても1桁入りません。。さすがインド。。
しかも色々と試したところ、アルファベットを2文字入れるとエラーになることが判明。つまりあれだ、アルファベット1文字+数字7文字で入れろと。
じゃあいいよ!!!それで通関してみろよ!!!!と逆ギレしつつパスポートナンバーを8桁で申請、パスポートの1ページ目をアップロードして学校に帰還。
すると、早速DHLからSMSが届き「おたくのビザもアップロードしてくださいな」とのこと。思ったより反応が早くて驚くも、パスポートナンバーのことに全く触れないあたり、ちゃんと確認してるのか不安になるインドのDHLでした。

 

■9/16(水)
今日はJNUに留学している大学院時代の知人に会ってきました。
彼女はいま研究生のような立場で、日本の大学院に籍を残しつつJNUに在籍しているんだそうです。そんな留学方法があったのだなあと目からうろこ。

会社を辞めてインド留学を始めた私ですが、留学後に再び会社で働くつもりはなく、帰国後は大学院の博士課程に進もうと考えています。
ただ、研究で食べていくのか、教授になりたいのか、研究を通して得たものをNGOなどで実践していきたいのか、自分の将来についてはまだまだ決めきれていないことだらけです。

今回のインド留学も、語学の研鑽はもちろんですが、もうひとつ、博士課程に進むことを前提としたフィールドワークが目的です。博士での研究計画をこのインド留学で書き上げたいという想いもあります。
また、できれば来年はデリー大学かJNUに入って、講義を聴講しつつ、フィールドワークができればなあと(欲を言えばデリーのNGO活動にも興味があるんですが)思っています。

そんなこんなをその知人にぶちまけたわけですが、帰宅して思うのは、私は本当に人の話を聞く姿勢がなってないなあということで、何かと自分の話ばかりになってしまうなあということでした。
そんな自分のやりたいことがライフヒストリーの研究だなんて、こんなことでうまくいくわけないなあと珍しく(?)落ち込む岡本でした。

9月9日~13日のはなし(ボパールでのヒンディー語大会)

■9/9~9/13
ボパールから帰ってきました。朝から晩までヒンディー語にどっぷりつかり、またいろんな国からの留学生と団体行動することで色々と疲れましたが、貴重な経験できてよかったです。

会場にはたくさんの記者が来ていて、複数の新聞社やテレビ、ラジオから取材を受けました。人生でこんなにメディアに囲まれる日が来るなんて思わなかった。。きっと私の人生のピークここで終わったな。。

セミナーの大半は寝てすごし、飲み放題・食べ放題のチャイとクッキーを遠慮することなくガツガツと飲み食いし、ビュッフェ形式のランチとディナーでもここぞとばかりに食べまくったので、ヒンディー語会議のこの3日間で間違いなく太ったと思われます。私は一体何しに来たんだ。。

ところで、私はインド人のPGハウスで下宿生活をしているので、ほぼ毎日、朝も昼も夜もインド料理を食べているわけですが、他の留学生で同じようなPGハウスに下宿している人はいないみたいで、皆さん自炊したり外で食べたりしてるんだそうです。
そうなるとインド料理以外を食べる機会のほうが多い人もいるわけで、この3日間のインド料理攻めに辟易している留学生がわりといました。
自分は以前から環境への順応性が高いタイプの人間なのかなと思っていたんですが、中国からの留学生の子にそれをはっきり指摘されて改めてそれを感じた次第。
なんていうか、「あったほうが良いけど無くても別に良いや」と感じるものが多い。日本食も、そりゃあれば食べるけど、無いなら別にいいです、みたいな。
しかしお酒よ、お前は別だ。ああ、お酒が飲みたい。。

9月7日~8日のはなし

■9/7(月)
今週木曜日から開催されるヒンディー語会議ですが、本日ようやく「どうやって行くのか」「どこに集合するのか」「誰が行くのか」が明らかになりました。遅っ!!

授業中に突然呼び出しをくらい、別のクラスの人々と共に一か所に集められ、ボパール行の列車のチケットを配られる生徒たち。前々から思っているのですが、こういうのランチ食べながらやればいいのに、なんで授業中に突然始まるんだろう。
集合時間はなんと水曜日の朝5時。列車は朝6時発。死ぬ。。
自分の家からだと最寄りのメトロは始発前で動いてないし、オートリキシャーが走ってるかわからないし、そもそも朝起きれる自信がないし、こりゃ前泊するしかない。

というわけで授業後はニューデリー駅近くの安宿街・パハルガンジにゲストハウスを探しに行ったのでした。
学校帰りで軽装なので観光客と間違えられることもないかなと思ったのですが、やっぱり何人かは客引きが寄ってきて「はーい、マダーム」「にーはお!」「こにちわー!」と声を掛けられます。3年前に現地調査に来た時はパハルガンジにも足繁く通っていましたが、今回留学を始めてからパハルガンジに来たのは2回目で、この客引きが煩わしい感じも久々でした。うん、相変わらずうるさい!笑
800ルピーでまあ小奇麗なゲストハウスが見つかったので、明日はここに泊まります。そして今現在23時過ぎでまだ荷造り終わってないどころか着手すらしていませんが、なんとかなるでしょう。うん。

 

■9/8(火)
今日は学校帰りにパハルガンジに直行し、夜は学校の友達(韓国人留学生Jちゃん)の旦那さんがやっている韓国料理のお店でご飯を食べました。
本当なら今日は日本人の元留学生たちとの飲み会があったのですが、明日のボパール行きのせいで延期となり、どうにかして酒を飲めないかと思案した結果の韓国料理+ビールでございました。

てっきり料理も旦那さんが作っているのかと思いきや、料理自体はネパール人の従業員たちが作っているのです。ややインド的な韓国料理でしたが、それでもかなり美味しいプルコギやキンパを食べることができて幸せでした。ああ、サムギョプサルが食べたい。。

ご飯の後は友達とカフェでまったり。これがいわゆる夜カフェですよ。日本でも1回しかやったことないのに、インドで夜カフェとかほんと女子力高いよ私。
さて、Jちゃんは学生と同じくらい若く見えるんですが、現在すでに1歳くらいの女の子のお母さんです。娘さんはタラちゃんというです。(ヒンディー語で「星」の意味)
そのタラちゃん、最近は電話をかけるポーズを覚えたらしく、私たちの携帯電話を耳に当てて「イゴイゴ?イゴイゴ?」とずっと喋っている。イゴイゴがどんな意味なのかわからないまま、一緒にタラちゃんとイゴイゴして遊ぶ岡本。よだれで携帯電話がべっとべとになりましたが、NOKIAだもん、これくらいで水没故障とかしないでしょう。

ちなみにボパール行の荷造りが終わったのは今日の朝9時でした。いいんだ、ぎりぎりでもセーフならセーフなんだ。滑り込みセーフで人生を過ごすのが目標です。