■9/17(木)
昨夜は遅くまでだらだらしていたこと+目覚ましをかけ忘れたことで、朝起きたらなんと10時でした。わーい。10時半から授業だー。
基本的に朝は苦手で、目覚ましと気合いやら義務感やらがなければ起きられません。(会社を辞めた理由の一つという説もあります)
そういうわけで本日は潔く学校を諦め、今日は家の近くをずっとウロウロしていました。
そういえば一昨日の話になりますが、ずっと欲しいと思っていたSIMフリーのUSBドングルをついに購入しました。(USBポートに差してインターネットを使うUSB型データカード。wifiも飛ばせる)
これの活用法については別に詳しく記事を書きたいと思いますが、SIMフリーなので日本の格安SIMカードも使えるはず。日本に一時帰国するときに有効活用できそうな予感です。
で、そのドングルに差して使っているairtelの3Gプリペイドのチャージをしたり、学生向けっぽいレストランに入ってみたら意外と学生向けではなかった(高かった)りして、学校に行かなかった反動か結構派手にお金を使ってしまった日でした。
とはいえ、一日だいたい150~200ルピーで過ごせるところを500ルピーくらい使ってしまったという話なので、日本円に直せば非常に安いんですけどね!(1ルピー=約1.8円)
もはやインドの学生としての物価感覚に慣れすぎて、一食に200ルピー以上払うと「高いなあ」と感じてしまう有様です。
夕方は家の近くのグルドゥワーラー(シク教寺院)に行ってまったり。礼拝だけして、ぼんやりしてから帰るつもりだったのですが、礼拝後におばあちゃんからプラサードとしてジャレービーとビスケットまで頂いてしまいました。
ジャレービー美味しかったけど「あ、これお腹壊しそう」と直感したので二口ほどで辞めておきました。おばあちゃん、ごめんね。。
■9/18(金)
学校帰りに友達とバングラ・サーヒブに行き、二日連続でのグルドゥワーラー訪問となりました。
昨日書き忘れましたが、グルドゥワーラーというのはシク教徒の寺院のことで、シク教徒が住んでるエリアにはほぼ必ず1軒はグルドゥワーラーが建っています。
デリーは、1947年のインド独立時にパンジャーブ地方から流れてきた移民が多く(※)、パンジャーブ州を除く他の地域と比較してシク教徒の居住率が非常に高い為、グルドゥワーラーもあちこちにあります。
そのデリーのグルドゥワーラーの中でもひときわ大きく、最も有名な寺院がこの「バングラ・サーヒブ」です。
実は私は"宗教暴動"(communal condlict)の研究として、1984年にデリーで起こった暴動の調査をしていたことがあり、3年前の現地調査でグルドゥワーラーを拠点に何人かのインフォーマントに出会い、お蔭さまで非常に貴重な知識や経験を得ることができたのでした。
なので自分にとって、バングラ・サーヒブに限らずグルドゥワーラーはとても特別な場所で、落ち着いてまったり過ごせる大好きな場所でもあります。
それでもシク教徒の作法に関して知らないことがまだ沢山あるなあと感じる昨今。頂いたプラサード(器に入ったハルワー)に切れ目を入れてもらうという作法も今回初めて知りました。まだまだ勉強が必要です。。
(※1947年のインド独立はインドとパキスタンとの分離独立で、現在のインドとパキスタン両国家にまたがるパンジャーブ地方に国境線が引かれたため、パンジャーブ地方からは約10万人ともいわれる難民が発生したのでした。なお、シク教徒の聖地のひとつは現在パキスタン側パンジャーブ州に位置し、現在もシク教徒の集団が住んでいるコロニーがあるとのことです。この事実から見てもパキスタンはムスリムだけが住んでいる「イスラーム国家」ではないのですが、一部のヒンドゥー過激主義は「パキスタンがイスラーム国家ならインドはヒンドゥー国家となるべき」と主張し、ムスリムをインドから追い出すorヒンドゥーに改宗させるべきとの持論を展開しているグループがあります)
■9/19(土)
学校が休みの土日には、いつも忙しかったり疲れていたりしてなかなか読めていない本を読んで過ごしています。が、だいたい2時間も本を読むと飽きてくるので、ベッドの上でもんどりうったり体操したりでんぐり返しをして過ごしました。
そうこうしているうちに夜となり、延々と続いたこの奇行を見かねたルームメイトが「一緒に散歩しよう」と、なんとバイクで近場のちょっとしたマーケットまで連れて行ってくれたのでした。
ちなみにルームメイトは女性です。スクーターではなく普通のバイクに女性が乗っているのは個人的に憧れる光景なので、「うひょー!すっ飛ばせー!」なんてテンションだだあがり。
とかやってると、マジものすごい速さで車やオートリキシャーを追い越そうとするので「ちょ、ちょ、待っ…!」と声にならない悲鳴をあげる羽目になったのでした。
最終的には彼女が反対車線を走り始めたところで私の寿命が数年分は縮みました。彼女の弁によると「中央分離帯が邪魔で向こう側の車線に行けないから仕方ない」とのことです。
インド政府は今すぐ国内の中央分離帯を撤去するか、免許取得時に「中央分離帯がある場合は、正しい進行方向に沿ってUターン可能な交差点まで進むこと」を徹底的にご指導いただき度。
■9/20(日)
今日でインドに来てから1ヵ月が経ったのだなあとしみじみしている岡本です。
これまで毎日書いていた日記ですが、1ヵ月は続けたことだし、今後は不定期に、さらにトピックも日々の記録に限らず色々な備忘録として活用していこうと思った次第です。
さて、本日も特にやることはなく、ベッドの上ででんぐり返しなどをして過ごしました。
昼頃に「これではいかん!」と思い立ち、昨日の夜にバイクで連れて行ってもらったマーケットまで徒歩で行くことにしました。
デリーでは、そろそろ酷暑期が過ぎて朝と夕方はだんだんと風が気持ちよくなってきたとはいえ、昼下がりはまだまだ暑い時間帯です。
そんな時間帯に30分近く徒歩で移動するのはアホの極みですが、私はアホなので、歩いてムケルジーナガルのマーケットまで行ってきました。
アホとはいえこのマーケットに出かけた目的もちゃんとあります。インド映画のDVDが欲しいと思っていたので、学生街の端っこにあり、若者が多いこのマーケットならDVDの売ってる店が見つかるだろうと思ったのです。(下調べはしていない)
結論から言うと、DVDを売っている店は見つかりませんでした!
代わりに、ハードディスクに映画をコピーしているお店を2軒ほど見つけました。なるほど、こうやって映画を見る方法も存在するのか。
勿論ですがこれらは違法DLです。自分は映画好きのただの凡人ですが、このような違法DLや海賊版DVDの存在が映画産業に少なからず悪影響を与えていることは知っているので、それらを決して肯定的に捉えることはできません。
また、200ルピーや300ルピーの純正DVDを買う余裕がない人々もいることは理解してますが、その店に並んでいた人はそこまで貧困層に見えなかったし、大学生風の男性もその店で順番待ちしているようでした。
貧困でDVDを買えないというよりかは安く映画を見たいという人が多い印象を受けます。
日本では映画産業が斜陽産業になったりCDが売れないことが問題になったりしていますが、そのうちインドでも映画DVDの売れ行きや映画館の入りが問題になったりするのでしょうか。