百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

4月8日 記憶のピン

ZINEを作ろうとしている。

数年越しの夢であった。というか最近まで忘れていた。大学院生の頃に思いついたのだったか、自分の視点から見る世界を形としてまとめておきたいという小さな欲望。

今のところ「記憶」がテーマになるかなと思っている。愛しい記憶、好きなものの記憶。

 

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私の人生において「記憶」というテーマに向き合うことは必然だったのかもしれない。

 

叔母は記憶とアートに関する研究者だけど、その研究テーマを認識するより前に、私は記憶を題材に論文を書き始めていた。

 

こないだ母に私の幼少期の頃の話を聞いた。

どうしても3歳頃〜幼稚園時代の記憶が思い出せなくて、まあ幼少期なんてたいしたもんでもないだろうが、なんだかモヤモヤして、母に電話して聞いたのだった。

 

当時私の弟を妊娠していた母は切迫流産の危険のために3ヶ月入院し、父は単身赴任で家にいなかったので、私は数ヶ月を母方のおばあちゃんと叔父さんによって育てられていたらしい。

退院後も通院がしばしばあったので、私はよく託児所に預けられていたそうだ。聞き分けが良く、託児所に行くための荷物を自分で準備するような子供だった。泣きも喚きもしなかったと。

 

全く覚えてない記憶だったけど、その生い立ちなら自分の抱えている感覚や性格や趣向についても納得できる。

友達や恋人とバイバイする時の深く押し寄せてくる胸をつく寂しさ。「大人」に対する従順と苛立ち。世界からはみ出してる、居場所のない感覚。置いていかれる恐怖と、それでも駄々をこねたら本当に捨てられてしまうかもしれないという、もっと底知れない恐怖。

 

こんな恐怖を抱えて今まで生き延びてきたのか。自分の生存本能に愕然とする。えらいと思う。よくやった。それで、もう十分だよ。

 

記憶を、先に進むために留めておく。

忘れてないよ、忘れても思い出せるから大丈夫だよ。ずいぶん遠いところまで来たなあ。そうやって振り返るための、記憶のピン。

 

ZINEはインドで撮り溜めた写真と、そこで感じたこと、思い出したことを中心にまとめようと考えている。

私の写真と言葉を見てくれた人が、「そういえば昔ね」と自分の過去と出会い直す、そんなきっかけになったら嬉しい。