百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

2月3日 文化の交差点

立春の前、冬土用の終わりにあたる節分の日。

そんな季節の区切りだからなのか、先日から感じていたことをなんとなく言葉にできそうな気がして今この日記を書いている。

 

先日、遠い親戚のおじさんが亡くなった。

母方のひいばあちゃんの末妹の旦那さんなので、私とは血のつながりが全くない。子供の頃にたまにじいちゃんに連れられてそのおじさん一家の家に遊びに行ったことがあるくらいで、あとは親族の冠婚葬祭のときにお会いするくらいだった。

 

うちは親族が多く、また葬式についても序列だなんだとうるさい。誰がどの席に座るのか、花はどこに並べるか、誰が誰より先にお焼香をあげるのか、など細かく決まっている。

そんな中で私はポンコツぶりを発揮し、おじさんの弟の孫夫婦よりもおじさんに近い席に座ってしまって母方のじいちゃんの弟(伯父である)に顔をしかめられたりした。

 

そうやって「血のつながり」というものが可視化される場面に出くわすたび、「私」という物/者は一体なんなのかという不思議にぶちあたる。

 

子供の頃からずっと不思議だった。

 

私は私という体を持つ個体で、私の思考も意思決定もそれに伴う行動も私のものであるのに、母の体から私は生まれ、そこには父の血も混ざっており、私の思考や行動や顔つきは「父or母にそっくり」と言われる。

それは遺伝子と慣習というものがあって私というものに影響しているのだと教わり、理解したつもりでいたけれど、心の深い部分でずっと納得していなかったのだと思う。目で見えない何かについて納得するには時間がかかる。少なくとも私の場合は。

 

今回それがやっと腑に落ちた感覚を得た。

「ああ、私は文化の交差点なんだな」と思った。あらゆる人がそうだろう。誰かと誰かの文化の交わるところとしての私。

 

唐突だけど、私の両親は仮面夫婦だった。

小学校の友人からは「良いお父さんとお母さん」、弟のママ友の会話でも「仲のいいご夫婦」と言われていた。

でも実態は違った。毎晩のように喧嘩をしていて、私は二階の自分の部屋で床に耳をつけて、母の泣き声や喚き声、父の怒りを含んだ低く短い声を聞いて過ごした。

家族4人だけで車に乗って外出するときは苦痛で仕方なかった。父も母も互いには喋らない。父は黙って車を運転し、母は私と弟にだけ話しかける。

2人の間の空気はいつもぴりぴりしていて、なんていうか、そのぴりぴりを出してる矢印は互いと別方向に走っている。私はたぶん人の発する空気を読むのがうまかったから、弟よりもさらに参っていた(と思う)。いつも車に乗るときは窓を薄く開けた。

 

ちなみに余談だけれど、高校生の時に私は父が不倫していることを知った。そのときは安堵した。この人にはちゃんと心があって、別のところに愛する女性がいるんだ、と。あの感覚は今でも不思議だけど、私なりの父への愛情の持ち方なのだと思う。

 

結局そんな家庭は長く続かないもので、父と母は籍を入れたまま別居することになり、私はその後たまに週末に会う以外は父と接することなく大人になった。

だからこそ「その仕草は◯◯さん(父)に似てる」などと母方の親戚に言われても全然ピンとこなかった、というのもあるかもしれない。

 

だけどたしかに私に父と母の血が流れていて、似たような配分で流れている(かどうかは実際のところ確かめようがないけど)のは弟くらいなもので、この世にただ一人いる私だけがこの配分でここにいるのだ、とそんな気持ちになった。

 

もちろん、この考え方は生物学やら文化人類学やらの立場で考えるとだいぶ間違っている。

血だけがその人の「その人らしさ」を決定するわけではなく、また「文化」という言葉の使い方や定義もおかしい。

細かく考えるとおかしなところだらけなのだけど、何よりも、死を見送るその現場で私が「生きているとはこういうことなのか」と感じたその感覚を言語化したいという気持ちを優先した。衝動だ。

この文章は衝動で書かれている。

 

話がまとまらなくなりそうなのでこの辺で終わり。