一年の終わりがもうそこに迫っている、とはいえなにかが急に変わるわけでもなく、一日が続いていく…日々の積み重ねが百年。「百年と一日」という柴崎友香さんの本を横目に年が暮れていくのを眺めてる。
来年こそはとまたアホのように今年も繰り返し言っているけど、来年こそは日々の行動や思考を可視化したい。
可視化してどうするのかまでは考えてない、けど理想は透明な人間になりたい。消えたいという意味ではなく、身体の境界線や血や肉が透明で、思考が相手に伝わりやすい、透明度の高い人間になりたい。水のように。
私は水になりたいのだと思う。
そのために、一日の頭の中身、一日の自分の行動(ぐだぐだしていた時間も反省材料として含めて)をごしゃっと吐き出せるような日記なりSNSなり何かやりたいと今年の5月あたりにこのはてブロを連続更新してみたけど、特大低気圧が来る頃に精神的なパニックを起こして死にかけて(丸一日布団から起き上がれない日があった)、ようやく「この作業は精神に負担がかかる」ということを理解した。
頭の中身を文章化するというのは相当大変な作業だった…と言い訳してるようですが本当に大変でした。わずかな文字数でも結構何度も推敲してしまうのです。それでも後で読み直すと、てにをはや文の繋がりや語呂や響きがおかしい気がして書き直してしまい、一つの日記を書くのに1時間以上かかっておりまして。
そもそもTwitter、Facebook、noteと各種SNSもあるし、日記はリアルの紙でも毎日書いてるし、evernoteの10年日記プロジェクト(10年分の紙日記をevernote上に移してデジタルアーカイブにする)もやってるし、趣味は読書だ音楽だ映画だアニメだと幅広い。そこに仕事と研究がある。時間が足りない。
それで思いついた方法。
たとえばnoteを一週間単位なり10日単位なりの振り返り用にして、はてなブログの各記事のリンクを貼る。このはてなブログは、ほんの数行のメモとTwitterの呟きとその日に撮った写真やスクショ、ライフログの貼り付け場にしたら、わりと楽に毎日できるんじゃないかなと思った。
ブログ名を「百年の一日」に改めた。冒頭にも書いた柴崎友香さんの本のタイトルをお借りして。一日が積み重なって百年になるのだと、昔からの慣用句にもある当たり前のことが、どうして新鮮に感じられるんだろうね。それは私の頭がすっからぴんだからだ。夢詰め込めるね。
何の音楽を聴いてたかタイトル忘れがちなのもあって、自動記録用にlast fmを導入した。今のところ良い感じ。