百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

6月22日

土曜日あたりから自分のメンタルの様子が変だった。もやもやもやもやして、とはいえ天気が悪いわけでもないのになあ、なんだろうと思いつつオンラインの勉強会などに参加。

 

日曜日は明らかに低気圧きてるなとわかるくらいのメンタルの落ちっぷりで、夜からは自律神経が乱れを通り越して焼失してしまった。

 

昨日も書いた通り、折しも土曜日の夜から愛猫の具合が悪くなった。ビェービェーというのか、よくわからない音の呼吸を発作的に繰り返す。緊急で動物病院にかかったけど、検査では何が原因なのか、病名はなんなのか確定しなかった。

エコー検査の結果、心臓の左心房だか左心室だかの心筋が他より厚くなっていて、肥大型心筋症の疑いがでた。でも腹水が溜まっていないので、もし心筋症だとしてもこの荒い呼吸の発作が出ることの直接的な原因にはならないはず…と。

さらにレントゲンをとると、肺がうっすら白くなっていて、肺炎の可能性も指摘された。でもやはりうっすらなので、これで発作が起こるか断定は難しい、と。呼吸系疾患は神経の問題の可能性もある(所謂てんかん)ので、とにかく断定が難しいのだと説明される。獣医さんって大変だなあ…。

とりあえず肺炎の薬をもらって、次に症状が出たらその日から二日間飲ませて経過観察しましょう、と。この薬が効かなければ肺炎ではない、心筋症か別の病気の可能性がある。

そう聞かされたあとの病院からの帰り道の記憶がすぽんと抜けている。

 

日曜日の夕方にまた発作。薬を飲ませる。次は12時間後に飲ませてくれと書いてあったので、昨晩は早めに就寝して明け方前に起床、5時頃に薬を飲ませてうとうとしながら様子を見ていたけど、8時前に軽くゼエゼエし始めて、薬飲んだのに何故だとパニックになった。

さっき猫の寝床をよく見たら薬が落ちていた。吐き出したみたいだ。なるほどな、とさきほど再び薬を飲ませる。薬を飲ませてすぐに大好きなおやつをあげて一緒に飲み込ませる作戦も実行する。これで大丈夫なはず。

 

猫の存在がいかに私の心を支えていたかというのがよくわかった。ずたぼろだ。

 

そういうわけで日曜日の夜は、猫の発作と低気圧に神経を完全にやられて、涙が止まらなかった。リアルに、止まらなかった。発作的に10分くらいぼろぼろと泣き、涙が止まったら水を飲み、鏡を見て「大丈夫大丈夫」と繰り返し、深呼吸して精神を整える、のに30分後くらいにはぼろぼろとまた涙が流れる。口の中がパサパサになる。涙は体の水分なのだとよーくわかった。水をちゃんと飲む。飲んだ分だけまた涙が溢れる。口の中は常にパサパサ。

 

ちょうど人間関係での悩みも大きくなっていた頃で、猫の発作音を聞きながら、考えても仕方ない過去や未来を考えては呪い、涙をこぼした。

 

私の時間を返してくれと言いたいが、私の時間をそこに費やすと決めたのは他でもない私自身で、誰も何も悪いことをしていない。私の弱さと未熟さがひたすら私の首を絞めていた。馬鹿なのだと思う。馬鹿だから頭をよくしなくちゃとたくさん本を読んできたが、そういうことじゃなく、元々の頭が本当に救いようもなく悪いのだと思う。

 

今日もしとしとしとしとざあざあざあざあ雨が降っていて猫は時折けほっと鳴いて、私のメンタルは今日中にはどうにもならないだろうと諦めている。

 

このブログの1415文字を書いている間にも涙がずっと溢れていて、口の中が乾いている。