百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

6月15日 ファラフェル、ラード飯

明日、指導教官と面談なのに全くやる気が出ない。空がずっと薄暗かったから仕方ないと思いつつ、ままならなさが悔しい。

 

昼、ファラフェルを作った。料理を引き金にやる気を出そうと思ったのだ。

ひよこ豆を潰し、ニンニク、パセリ、オレガノコリアンダー、クミンを混ぜて団子にしてから油で揚げる。初めて作る料理は手順に夢中で頭を空っぽにできるのが良い。
うまかったがやる気は戻ってこなかった。

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夜、ポリフォニーについての論文を少し読み、区切り良いところで西荻に行く。知り合いの店でラード飯を食べる。
数年ぶりのラード飯だった。美味。

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帰路、VOXで飲む。

マスターの顔を見ると、なんだかほっとする。

2時過ぎ帰宅。

6月6日 仕事したくない牛すじ赤ワイン

昨日の夜もなんやかんや遅くまで起きていて、今朝は起きた瞬間から猛烈に眠い。

低血圧なのでただでさえ朝はすっと起きられず布団で1時間くらいうだうだしてから活動開始するというのに、眠い、眠い、眠い。

 

「やだよーーんお仕事したくないよーーーんムギちゃんふがふがーーー!」と愛猫ムギさんに顔面ぐりぐりしたりのたうち回ったりしながらなんとか起床してお弁当作ってキャンパスへ。

 

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仕事場の図書室に向かいがてら「こんなに眠いのだから今日は自分を労わる日にしよう」と思う。

今日中に締め切りの仕事が2つあるけど焦らずこつこつやっていこう。

そんな静かな決意を胸に、落ち着いた気持ちでマイPCの電源をいれたら「電池残量6%」の表示。充電ケーブル挿してたけど電源側のプラグが抜けてたなこりゃ。

 

こういうアクシデントがあると私はわかりやすくテンションやモチベーションがさがる。

限りなくゼロに近いモチベをなんとか奮い立たせて職場で出来ることをやるが、帰宅する頃にはゼロを通り越しマイナスに突入していた。

でも別にいいんですよ。眠くても生きてることがすでに偉いのに、お仕事までやるなんて、しかも締め切りに間に合わせようとするなんて、偉すぎて偉人図鑑に載るレベルだもの。

でもどんなに私が私の中で偉くて尊い存在でも締め切りに間に合わないと怒られてしまうんである。世知辛いし、それでは私が可哀想。

じゃあ今、こんなに眠いのに自分に鞭打って仕事すべきなのか…?

 

そんなふうに悩むときはやはり料理である。

手元の作業や工程に集中できるので、やはり料理はいい。私の世界を明るく照らしている。

 

とかなんとか言い訳しながら、仕事をやりたくない一心で牛すじ肉の赤ワイン煮込みを作ってしまった。

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食べ終わった後もまだ仕事に向き合う気持ちになれず、明日のお弁当の設計図を描いて過ごした。

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締め切りまで残り3時間半を切るなか、マイナスのモチベがゼロすれすれ上くらいまで回復したので、そのあとは黙々と作業。

 

こうして今、なんとか「本日」の日記を書ける時間までに提出を済ませたのでした。

 

私はとてもえらい。

自分を労わるのはこれからだ。今からプリンを食べるぞ。(早く寝なさい)

 

 

6月5日 腹が減っては研究できぬ

最近は週2回ほど大学キャンパス内で仕事をしてる。

仕事といっても研究室付きの図書室に新着図書を配架したり雑誌を整理したり論文の製本依頼をかけたりするだけで、あとの時間は自分の研究を進められる。ありがたいことです。

 

キャンパスに食堂や生協はあるけど昼時はわけわからんくらい混むので、いつのまにかお弁当を持参して食べるようになった。

図書室や研究室で食べることもあれば、天気の良い日は外で食べることもある。

最近は花壇前でお弁当を食べるのがお気に入り。

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とはいえ、水曜日の午後勤に持参する夕飯用のお弁当と違って、ランチタイム用のお弁当を仕込むのは朝早く起きなくてはいけないのでなかなか大変だなあと思うこともある。

そんなわけで作りおきの重要性がますますあがっている。土曜日や日曜日の夜にまとめて仕込む。広い台所になったので作業のストレスもなくなり、単純に楽しく料理ができている。

広いと言ってもオープンキッチンとかアイランドキッチンとかおしゃれなものではなく、普通の賃貸に付いている壁向きの流し・作業台・コンロスペースが並んだ横幅180センチほどのキッチンだが、極小キッチンを使っていた身からすると「当たり前のありがたみ」を噛み締める日々なのです。

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研究者(に限らないが大学生や院生を対象にした調査で)は、食生活が不規則だったり食事の栄養バランスが悪かったりするらしい。

 

そういえば私の周りの博論執筆者にも食事をほとんど外食や中食に頼っている人がいる。

それは一つの生き方だし本人が好んでいるなら構わないんだけど、私の場合は外食中心の生活でメンタルが荒れた過去があるのでプレッシャーにならない程度に自炊をするようにした。

 

これも研究者の一つの生存戦略

なんにせよ腹が減っては研究できぬし博論も書けぬ。

今日も美味しく食べて論文を進めるのだ。

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6月4日 今の暮らしが好き

友達と我が家で宅飲みして、夜明けまで飲んでお布団ひいて雑魚寝して、起きたらみんなでお味噌汁を飲んで、猫と全力で遊んでる人を眺め、お昼ごはんにラーメン食べて解散。

 

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今の生活が好き。
そう思えてなかった数年前から、今ここの日々の幸せを味わえるようにまで成長してきた。


だから今の生活を好きと胸張って思える自分のことが好き。
過去の苦い経験があって今ここにいられるんだから過去の生活も今なら愛せる。

 

あらゆる人がそうならいいなぁと本気で思う。
(中村一義みたいなこと言ってら)

 

過去の苦い経験もまだ手に入ってない未来の望みもすべて愛せるのは、今が幸せだからというよりも、「今を幸せだ」と定義したから。

今が未来につながっていくから、きっとこのままどんどん幸せになっていくんだろうと、そんなふうに感じる。

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5月31日 ミルク味噌スープと後悔と失敗

最近ピラティスに通っている。ここ最近の大きな変化の一つだ。8時からのレッスンに参加するために朝早くに起きることが増えた。

 

そのあと歯医者で虫歯治療、そして帰宅して二日ぶりに掃除機をかける。

家を片付けたりすっきりさせると気持ちが良いし、本当は毎日掃除機をかけたい。でも月火は仕事で朝早くに出かけ、最近は夕方〜夜に予定の入ることも多くて…

 

そんな言い訳ばかりの自分に今はなんだかうんざりする。

 

ここ数日、天気が悪い。このあともずっと悪いらしい。そんな曇天に包まれてメンタルの調子は低浮上。

今日は笑っちゃうような仕事のミスも発覚してぐったり。

 

ミルク味の味噌スープを作った。カフェのモーニングで食べて美味しかったので。でも出汁をきちんと取る時間がなく、適当に味をつけたらやっぱり美味しくない。時間も手間も惜しまずちゃんとやるべきだったと後悔。

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今日もお昼とお弁当を同時進行で作って昼からクタクタ。そこまでしてお昼ご飯食べなくても良かったんじゃないかと今は思う。

 

そしてミスのリカバリーのために早く出社しなくてはいけないのに、ぎりぎりに家を出てしまった。

 

そんな曇天の日。

 

 

5月28日 育て直し

気づけば放置していた。アウトプットとインプットのバランスが大事だなと思いつつ。

 

いろんなことが変わった。

仕事が増えた。家を引っ越した。自宅で仕事や研究のできる環境を整えた。博論の中間審査会を開催してもらうことになった。夜の過ごし方を変えつつある。人の顔色を窺ったり、他人からの評価を気にしながら生きることをやめようとしている、など。

 

根本的に変えないとどうしようもねえ、という機運になったのだ。

自分を育て直すつもりでぼちぼちやっていきます。

3月13日 間に合う

今日をずっと3月14日だと思って過ごしていた。役所に出す書類にも、担当者の目の前で3月14日と書いたし、誰もそれを咎めなかった。自分が心の底から信じ込んでいれば嘘も真になるのだね。

 

そういうわけで確定申告を今年も無事に終えた。

今年は初めて税務署まで直接提出に行った。職員さんは穏やかな人が多く、私の思い浮かべる監査の無機質な雰囲気とはまるで違っていた。

税務署に行ったのはついでに青色申告申請書を出したからで、今まで白色で楽をしていた私も今年の収支はいよいよ青色で出すことになる。

 

さらについでに開業届を出した。本来なら3年くらい前の開業時に出していないといけない書類である。怒られるかとビクビクしていたが、窓口のおじさんはやはり穏やかだった。

「いつ開業したのか忘れたんですが提出できますか?」という私のすっとこどっこいな問いにも「まあなんとなくで書いてもらえれば」と役所らしからぬグレーな回答をくれてありがたい。お言葉に甘えてなんとなくで書いた。

 

一歩踏みだしてみれば拍子抜けするほど簡単だったり、恐れていたような事態にはならなかったり、なんとかなることは大いにある。

 

そうやって「間に合ったー」と控えの用紙をがさがさ言わしながら帰っている途中にふと、「今やらなくてはもうこの人生に間に合わない気がする」という言葉を思い出した。その感覚はとてもよくわかる。

そんな話を聞いたのは2021年の夏だったと思うけど、あの頃の彼は本当に、なんていうか、孤独と焦りと地に足のつかなさと自分が自分の人生に置いていかれる感覚をいっぺんに味わっていたんじゃないかな、とふと思った。

今はどうなんだろう? 今もその人からは虚しさや、焦燥感に似た落ち着かなさを感じることがあるけど、でもあの頃よりましだといいな。諦めたりスレたりしてないといいな。

取り返しのつかないことなんて死ぬ時以外にないのだから、決断さえできればいつでも自分の人生に間に合う。少なくとも私は彼が「間に合う」ことを信じている。

 

決断するって、自分の選択ひいては自分の人生に自分が責任を持つことだと思う。

自分がこれを選んだのだと胸を張ることだと思う。

 

…なんて、3年以上前の事業の開業届を「怒られるかも」と恐る恐る今日出した私がかっこつけて言っても様にならないんですけどね。

 

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