百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

4月6日 地獄の底で酒を飲む

先日、人と喧嘩をした。4〜5日ほど経ったがまだ続いている。LINEでオブラートというかガーゼに包んだ言い争いが続く。

一番やりとりの激しかった時間帯、私は行きつけのバーのマスターや常連のお客さんと荻窪の焼き鳥屋さんで飲んでいた。

美味しいおつまみに美味しい日本酒を頼んでニコニコしていたのも束の間、スマホに表示された連絡で気分が暗くなって何度もトイレに行ってはLINEの返事を打つ。

 

感情の波に飲み込まれがちな私は、一度飲み込まれると底の底までいって悲しんだり、怒るととことん怒ったり、逆に躁状態なくらい喜びもする。感情に操られがちで、その気分(感情)もコロコロ変わる。

 

こういう状態では冷静な判断ができないのでひたすら状況を悪化させる。そして始まる自分責め。私なんか…と落ち込む(数時間〜数日後には気分が変わる=忘れるのだけど)。

これぞパーフェクトネガティブコンボである。

 

 

この人とは本当に縁が切れるかもしれない。

「きっと憎むから」と何度も言われる。その人がそう言うならそうなのかもしれないと思う。そう思わせる言葉の力が彼にはある。時代が違えばカリスマ的演説すらぶてたかもしれない。その言葉に惚れた身ではあるのだけど。

 

そんなこんなで水面下でどんどん変な方向に進んでいく会話をしながら、笑顔で酒を飲み続けるという地獄のような時間を過ごした。

 

地獄の底でも美味しいお酒は美味しい。

今度は晴れやかな気分のときに飲みにいきたい。

 

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3月30日 下北沢の夜と言葉

仕事の後、知人のライブを見るため下北沢へ急いだが、とっくに終演していた。ライブ会場から帰ろうと彼女らの待っていたエレベーターの中から私が飛び出して、エレベーターホールで顔を見合わせる。そして飲みに行く。

 

彼や彼女らの作る歌詞が好きな私は、これまた言葉の扱いが素晴らしい知人も合流しての飲み会に終始にこにこで、話を聞いているのがとても楽しかった。

たまに振られても私は会話におけるセンスというものがないので、適切に投げられたボールをハンマーで砕いて壊すか、もしくは教本通りのスイングで打ち返すような行為をしていた。いずれにせよキャッチボールにはならない。

 

帰り道、バーのマスターが「あの人は信頼できる人だ」と言っていて、全然違うことを思い出した。

 

 

西荻窪で飲んでいて沢山の人と話をするけれど、心の奥のひだに触れるような会話ができるのはごく数人だ。心の奥をきーんと弾くような言葉を生み出す人たち。

世界について、人について、生きているというこの圧倒的な事実について、言葉はよく響く。

 

 

ライブ帰りの知人がひとり、うちに泊まってくれて嬉しかった。帰り道、彼女と夜桜を見た。

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3月19日 髪を切って、嫌われる勇気

髪を切るのに100も理由はいらない。美容院だろうとバスルームだろうと。

 

そういうわけで髪を切ってもらった。

自分の数ある長所の一つに「ロングヘアーもショートヘアーも似合う」というのがある。

似合うというか馴染む。なんでか知らないけど、どの髪型も「少し前から当たり前のようにその髪型だった」かのように振る舞う。

だから髪型を変えることに抵抗は全然ない。あるとしたらお財布の抵抗が。

 

しかしだいぶ長く伸ばしていたのをパツンと切ってもらって、首筋がだいぶ寒い。前髪もぱっつんにしてもらったらアメリを通り越してクレラップの子供のようになった。これもじきに馴染む、はず。

 

 

最近ぽこすかとドラムを叩いている。

習い初めのまだまだへたっぴなのでBPM80とか、調子乗っても90くらいで、エイトビートをのんびり刻んでいる。さらに調子に乗るとフィルインを叩いては「くふふ」と笑顔になっている。

でもフィルインからエイトビートに戻るときにだいたい間違えるのだけど。

 

夕方、小雨の降る中を知人が遊びに来てくれて、一緒に飲みつつアドラー哲学や「嫌われる勇気」について話し合った。

嫌う嫌わないってなんなのだろうね。嫌いなままでも、その存在があることを認めれば、何も諍いは起こらないと思うんだけどな。

 

夜、ミュージックバーで飲み記憶をなくす。

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3月17日 性とか愛とか

月曜火曜と連続で友達と楽しく過ごした。

家に泊まってくれて何かを夜通し話して寝落ちしたのだけど、お酒が入っていたのでほとんど覚えてない。友達も何も覚えてない。

翌朝、2人で「はて?」と色んな記憶を出し合ってパズルを埋めようとしたけど埋まらなかった。

付箋に書かれた謎の「領収書」があったり、猫を抱いたぶれぶれの写真があったり。

そんな楽しい日だった。

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友達と話していた中で一つ覚えているのが自分の性的な傾向のことだった。

この友人は愛情に色んな形があることを理解してくれているので話しやすい。

それで、薄々「変かもなあ」と思っていた自分の性的傾向について話したのだった。

 

私は好きな人に対しても、どんな男性にも女性にも、性欲が湧かない。

今まで知らなかったのだけど、これを「ノンセクシャル」と言うらしい。

手を繋ぎたいとか抱きしめられたいという気持ちはある。キスもおでことか頭にならされたい。

これらの行為も突き詰めれば性欲が原動力らしいので、私の場合は完全なノンセクシャルではないみたいだけど、所謂「性行為」をしたいと思ったことが人生で一度もない。

 

実は前夫とはセックスレスが原因で別れている。

面倒くさいし疲れる。それでも2ヶ月に一度はなんとか行為をするようにしていたけど、楽しくない疲れることをわざわざ眠くてベッドに入ってるときにやる意味がわからない。

ベッドに横たわるのは寝るためなのに、なんでここからさらに疲れにゃならんのだ。

交際中はホテルに行ったり旅行先でするから多少なりともエンタメ感があったのだけど…そりゃ結婚生活が続かないはずであった。

 

 

こういう「めんどくさい、楽しさがわからない」は人類のデフォルトの感情だと思っていたけど、今年の1月頃にNHKでやっていた夜ドラを観て「え?これ普通じゃないの?」と知って、そこからネットで検索して色々と納得した。

 

なんと

圧倒的大多数の人は愛情を感じるからこそ、性的欲求が芽生える事が多い

ノンセクシャルな人の10個の特徴とカミングアウトされた時の対応(続き2) | CoCoSiA(ココシア)

ということらしく、愛情はあるのに性行為をしたいという欲求に繋がらない私は何をどう足掻いても圧倒的にマイノリティなんだ、ということでした。

 

 

そんなことを友達に相談した気がする。でも覚えているのは自分の話していた内容ばかりで、友達がなんて答えてくれたのか、全然覚えてない。

というかもう寝落ちしてたような気がする。

そんな夜だった。

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3月14日 部屋に春

風が暖かい。

今日はついに上着を着ないで出かけた。ぽかぽかした陽気だと風に吹かれても寒くないどころか、汗ばむ額に風が心地よかった。

 

部屋の窓を開けていると、窓辺の暖かさに気づいたムギが布団を出て窓から外を覗く。春だなあと思う。部屋に飛び散る花粉も春。

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3月5日 緑色のカレーを作る

菜の花を使ってカレーを作った。ざっくり30食。毎月恒例の間借り営業のための仕込みです。

 

よく間違えている人がいるのだけど、サーグというのはヒンディー語で「青菜」という意味で、ほうれん草という意味ではない(ほうれん草はパラクという)。

 

サーグのカレーとパラクのカレーはインドでも厳密に分かれているわけではないけれど、

ラクのときはほうれん草が多めに使われているのに対して、サーグのほうはほうれん草と同じくらいメティリーフやバトゥアー(日本語でシロザ)、大根の葉などをミックスして使うと、パンジャーブ人の大家さんが言っていた。

ちなみにほうれん草だけで作ったカレーは美味しくないという。重要なのは大根の葉っぱで、これが入るとかなりコクが増すのだとか。

 

どの青菜を多めに使っているかで「サーグ」の名前も変わる、のかどうかは知らないけど、パンジャーブの名物料理にカラシナを使った「サルソーン・カー・サーグ」というものがある。

これが独特の風味ですごく美味しくて、ギーをたっぷり使ったものにとうもろこしの粉で作ったローティ(マッキー・キー・ローティ)を合わせるのが定番なのだけど、サクサク香ばしいローティとギーの香りとカラシナの奥行きのある味がベストマッチなのだ…!

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とかまあインド文化の話になるとうざいくらい話が長くなるけど、諸々端折って、無事にカレーを作り終えたのが23時頃。

エプロンに飛び散りすぎだな…

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そこから今日締め切りのヒンディー語の翻訳確認の仕事をしてひいひい。

 

日中に余裕ぶっこいて知り合いとカレーランチに行った自分を恨めしく。

にしてもタリカロさんのカレー、辛いのにバランスがとても良くて美味しかったな。うん、後悔はしてない。

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2月28日 燦々と

33年前の今日に生まれた。

去年も一昨年も似たようなことを思った。

 

33に掛けて「燦々と輝く一年にする!」と言って回っているけど誰からも「うまい!」と言われない。ちぇっ。

 

年齢というものの縛りというか制限のようなもの、例えば「もう30歳なんだから〜しなきゃ」とか「まだ30歳なんだから〜できる」とか、そういったものがあんまりわからない。

年齢の実感がないわけではなくて、世間で言われる「年齢とやれること/やらなきゃいけないことの関係」がピンとこない。これも、西荻窪にいるからなのかなと思う。

40代や50代の人と混じってよく飲むし、70代の酒飲み仲間もいて、そうすると「何歳で何々をしてないと云々」という世界からは多少自由なように感じる。(私が勝手にそう感じているだけで、彼らや彼女らは年齢の縛りを感じているかもしれないけど)

 

2月を振り返ると本当に穏やかで、1月中旬の荒れはどこへやら。随分昔の出来事のように感じる。

 

母からはお花が届いた。とても嬉しい。

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そうやって穏やかにふわふわと過ごしてきたなかで、この月末の戦争はとても悲しい出来事だった。

自分を正義だと思い込んでいる人の世界では敵が多く見えるのだろう。その「敵」のちょっとした言動が自分への脅威や敵意に感じられて、それを跳ねのけるためにより強硬な態度に出てしまい、結果として多くのものを失う。

戦争そのものに反対だし、傷つけられている人に何よりも心を寄せて支えたい。SNSを開けば嫌でも飛び込んでくる文言に、私もとても心が疲れたし傷ついた。

でもそれと同時に、私はあの男をとても憐れだと思う。誰か、彼の世界観を変えてくれる人が現れてほしいと思う。