百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

4月8日 レジュメ、西荻窪の消防車

来週、教授と面談がある。私から申し込んだのだ。研究進捗を報告し、学会報告を目指している研究にアドバイスをいただく。

が、そのレジュメがまったく書けてない。学会報告の申し込みに必要な要旨もできてない。

ここ最近はそれに心と頭を悩ませている。白髪が増えそう。

 

 

オンラインレッスンをこなしたり、書き起こしの文を見つめたり、フィールドノートを読み直したり、白紙のレジュメを見てぼんやりして過ごした。

 

夜、人に呼ばれて西荻窪へ。しかしお店が間も無く閉店ということで別の知人の家へ。

開けると必ず泡を吹き出す缶ビールを飲みながらインド人とビデオ電話。楽しく夜を過ごす。

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西荻窪の南口、消防車がたくさんいた。

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4月7日 初勤務と寿司

今年度から文化人類学関係のある授業のTAになった。授業のアシスタントだ。

博士課程に入って数年経つというのにTAになるのは初めてで、周りに比べたら遅いデビューだと思う。

 

まあ、やれることを精一杯やるだけ。

風が吹いたなら飛ぶだけ。

 

家のネット環境だと少し不安なので院生室に行って受講したけど、パソコンの電源ケーブルを忘れてきてしまい、授業の最後の方はバッテリーが持つかヒヤヒヤしながらでガイダンスにあんまり集中できなかった。

ちなみに電源は最後の最後に落ちた。挨拶できず落ちたので無愛想なTAと思われたかもしれない。

 

そのあとはいつも通りラジオ局に出社、インド人と打ち合わせ、収録。

社食のお寿司、450円でわりといい感じの内容だと気がつく。おかわりしたい。

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来週は後輩とランチする。

 

水曜日の夜の楽しみだったリゼロが終わってしまったので夜は少し寂しい。

4月6日 寒さの中の八重桜

土日にキャンプイベントに行って働いてきた。埼玉の飯能という場所で、キャンプ場は山の中だったので寒かった。

東京に戻ってきたときに寒さを連れてきてしまったのか、昨日今日と東京もだいぶ寒い。

 

こんな日は焼きたてパンが美味しい。

チーズと蜂蜜がいい感じにあわさっているふかふかのパンを食べた。

 

キャンパスの八重桜が綺麗に咲いていた。寒いのにえらい。

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夜、久々のヒンディー語オンライン教室。個別授業で生徒さん3人に教えているけど、集合授業は久しぶり。なんだか緊張した。

さよなら3月、またきて4月

3月はとぶように過ぎた。とんでいた、実際に。

中旬から何がどうしてこうなったのかと思うくらい予定がびっしりで忙しかったけれど、忘れていたが年度末だったのだ。

そうして確定申告もまだ終えていないうちに4月になり、4月3日〜4日のイベントにむけた準備などでまたバタバタ。

 

忙しいって言葉を言い訳にしたくない、

のでやれることをやる。

 

最近めっきりSNSを使う時間が減った。

閲覧するアプリと投稿専用のアプリを分けたことで、宣伝や思いついたことやメモ書きを瞬間的に投稿することは容易く、閲覧して何分も浪費することは避けられるようになった。

 

日記もまたぽつぽつと書いていく。

思ったことは言葉にしなくては。

3月21日 酒と孤独

最近またぼちぼち人とお酒を飲むようになってきた。

約束したわけでもなく、ただ行きつけのお店のカウンターに座ると気がつけば知り合いと会ってお酒を飲んでいる、という日々。

 

そんななかで今日は初めましての方と会話した。向こうから話しかけてきたのだった。

その交流が暴力的な絡み方だったので度肝を抜かれたし、そのときには少しむかっとした。

だけど夜眠る前に今日の出来事を思い返していたら、その人のことを考えて勝手に悲しい気持ちになった。

ハリネズミを連想する。あるいはヤマアラシ。お腹がとても柔らかい。

もっと自分を大切にしていいと思う。

まあ数十分話した程度で何がわかるというものでもないからこれは妄想なんだけど。

 

 

たいした覚悟もないくせに他人を癒すだとか、救おうだとか、そんな傲慢で無知蒙昧な自分がいつでも恥ずかしい。

「自分が一生のうちに影響を与えられる人の数はどれくらいだと思う?」と質問してきた大学の先輩のことをときどき思い出す。正確に言えば、その質問は私が直接受けたのではない。先輩が別の先輩に問いかけていた言葉だった。

その先輩は自殺か事故かわからない形で数年前に亡くなった。

先輩曰く、人が一生のうちに影響を与えられる人は多くて1、2人だと。

 

自分の問題は自分でしか乗り越えられず、自分の機嫌は自分で取るしかない。

(それでも苦しんでいる人を助けたいという気持ちは本当なんだと信じたい。ときどき、それすらわからなくなることがあるけれど)

 

 

好きな人の姿勢にはいつも感銘を受ける。自分の心を自分で守ろうとするところ、手助けは借りても深いところまでは踏み込ませないところ、最後は自分で乗り越えようとするところ。

彼と出会ったことで私は自分の奢りや思い上がりを知ってとにかく恥ずかしくなったし、そのように生きたいとがんばってる。

だけど困っているときには支えになりたい。黙っていても横にいたい。

 

葛藤するのはお酒を飲んだせいか。

 

3月9日 棚卸し、翻訳、レミオロメン

今日の図書室勤務では棚卸しをやった。蔵書すべての点検だ。印刷された蔵書リストを見てめまいがした。私の点検するか区分の蔵書は蔵書リスト約130ページ分。

 

棚卸しのあとも帰宅してずっと仕事。

昨今やりとりしてる翻訳関係の仕事が大詰めを迎えていて、校正で目を酷使する。

 

先月新しいメガネを作っておいて良かった。レンズも新品になってクリアーに見えるようになり快適。度数の合わないメガネを使い続けていたのは意外とストレスだったらしい、と変えてから気づいた。

 

翻訳校正の仕事は目が疲れるけどもなんだかんだ言って好きだ。

辞書をひきひき、日本語原稿をもとにヒンディー語の訳文をチェックする。翻訳者さんはネイティブで英語からヒンディー語に訳すので、日本語と英語でニュアンスの異なる部分やもしかしたら誤訳もあるかもしれず、最終チェックは日本語と照らし合わせて翻訳校正の私がやる、そういう仕事だ。

翻訳者さんの意図は残しつつ、でも時にはよりわかりやすい表現になるように、意味があっていても書き変えることもある。翻訳者さんが嫌な気持ちにならないようコミュニケーションをとりながらも差し戻したり、納期も管理して、翻訳を最終版に仕上げていく。

こういう仕事が性に合ってるみたいだ。

 

翻訳にお金がかけられる会社は多分どんどん減ってきていて、翻訳校正を使わずに翻訳一発のみという所が大多数なのかもしれない。

でも、日本語原稿ですら校正にかけて何度も赤入れして版を作り直すのに、翻訳原稿は校正にかけないというのはなんだか変だなと思う。人間がやる以上、意味の取り違えやスペルミスなど必ずヒューマンエラーは発生するのだから、翻訳校正は使ったほうがいいと思う。

まあ、やがてAIに取って代わられる仕事だとも思うけど。

 

そんなわけでヒンディー語の翻訳校正のお仕事お待ちしております⭐️(ちゃっかり宣伝)

 

寝る間際、今日が3月9日だと思い出してレミオロメンを適当に流しつつぼんやり。

 

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◼️写真

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駅前の八百屋さんできのこが激安価格で売っていた。大好き。

3月8日 カレー写真撮影

今日こそそろそろカレーを作らないとまずい!と一念発起、豆カレーとチキンカレーを作った。

チキンカレーは手を抜いたこともあって過去最低の出来。写真だけ見ればわからないけど、せっかく食べるのだからもっと丁寧に作ればよかったな。

豆カレーはそこそこ美味しい、が、レンズ豆の美味しさをあんまり引き出していないような気がするのでさらに精進したいな。

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ヒンディー語個別授業の生徒さんのスライドを作ったり、まあなんだかんだ仕事をやっているうちに夜になった。

最近、日は長くなっているのに、一日の終わりが早いように感じられる。

なにか焦燥感のようなものがある。焦っても仕方ないのだけど。

 

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