百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

2月28日 燦々と

33年前の今日に生まれた。

去年も一昨年も似たようなことを思った。

 

33に掛けて「燦々と輝く一年にする!」と言って回っているけど誰からも「うまい!」と言われない。ちぇっ。

 

年齢というものの縛りというか制限のようなもの、例えば「もう30歳なんだから〜しなきゃ」とか「まだ30歳なんだから〜できる」とか、そういったものがあんまりわからない。

年齢の実感がないわけではなくて、世間で言われる「年齢とやれること/やらなきゃいけないことの関係」がピンとこない。これも、西荻窪にいるからなのかなと思う。

40代や50代の人と混じってよく飲むし、70代の酒飲み仲間もいて、そうすると「何歳で何々をしてないと云々」という世界からは多少自由なように感じる。(私が勝手にそう感じているだけで、彼らや彼女らは年齢の縛りを感じているかもしれないけど)

 

2月を振り返ると本当に穏やかで、1月中旬の荒れはどこへやら。随分昔の出来事のように感じる。

 

母からはお花が届いた。とても嬉しい。

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そうやって穏やかにふわふわと過ごしてきたなかで、この月末の戦争はとても悲しい出来事だった。

自分を正義だと思い込んでいる人の世界では敵が多く見えるのだろう。その「敵」のちょっとした言動が自分への脅威や敵意に感じられて、それを跳ねのけるためにより強硬な態度に出てしまい、結果として多くのものを失う。

戦争そのものに反対だし、傷つけられている人に何よりも心を寄せて支えたい。SNSを開けば嫌でも飛び込んでくる文言に、私もとても心が疲れたし傷ついた。

でもそれと同時に、私はあの男をとても憐れだと思う。誰か、彼の世界観を変えてくれる人が現れてほしいと思う。

1月15日 からっぽ

今日はずいぶんたくさん良い言葉を拾ってご機嫌。街に出て人に会うことの良さを、蔓延防止発動の少し前の日々に噛み締める。

 

言葉は文脈において息をするからここに書いても平坦になってしまう、だからうまく書けない。だけども今日行ったバーの女将さんの言葉の数々がとても良かったことはちゃんと覚えておきたい。

飾らず力まず素朴に当たり前だけど忘れがちなことを言う人だった。

物書きの方の言葉も、あっけらかんな女将さんの言葉と対照的に冴え渡って鋭く、こちらも胸に響いた。

良い言葉をどのようにスクラップしたらいいかわからない。時間をそのまま切り取れたらいいのに。だからムービーを撮るのか。

 

知り合いのお店で牡蠣を食べた。

お客さんは私だけだった。

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1月6日 雪の日に夕暮れは来ない

雪の降る日は空が白く、夕方が訪れない。はっとするともう夜になっている。

 

子供の頃、夕方が好きではなかった。今もそうで、夕空は好きだけど夕方という中途半端な時間には寄る辺ない気持ちになる。

翻って朝方は好きだ。夜が朝に抜けていく時間帯にはいつも安心感をおぼえる。そういえば日の出の頃の雪の降る空はどんなだったか、思い出せない。やっぱり白いんだっけか。

 

雪が降っていることに気づいたのは15時頃だった。家の外が白いと思った。レースのカーテンを開けて気付いて窓を開けて感動して、レインコートを羽織って外に出た。雪だるまを作った。そんなことをしているのは私1人で、見渡す限りの雪原だった。嬬恋村を思い出し、帰りたくなる。

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今日は自分の好きなことをしてあげよう、好きなものを作ってあげよう、と丸一日自分を甘やかして過ごしたので、朝からピザを食べる羽目になったけど美味しかったので良し。

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1月2日 おせち、カオス、お雑煮

料理が好きなこともあって簡単なおせち料理はとりあえず作っておいた。煮しめ、田作り、豆きんとん、紅白なます

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三ヶ日はこれをぽつぽつとつまんで過ごそう…と思っていたけど知り合いに声をかけてもらったので新年2日目にして西荻に繰り出して飲み、最終的にどんどん知り合いが集まってくるカオスな空間にいた。みんな大好きよ。

 

お店でお雑煮をいただく。美味しい。

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今年は二十四節気や暦を意識して暮らそうと思う。あと口癖の「でも」を変える。言わないようにする。

今年も良い年にしていこう。

 

12月30日 2021年の愛と血反吐

明日は忙しいかもしれないので今日のうちに年内の総まとめ。

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この一年、かなり頑張ってきた。かなりというか滅茶苦茶がんばってきた。

今までの精神力だったら2回くらい首つってたと思う出来事が起きて、心臓をナイフでめったざしにされる痛みを味わってなおも死なずにこの一年を乗り越えたのだから、多分あと何年か何十年かある人生で自殺することもないだろう。

今まで私は打たれ弱いやつだと思っていたけど、どうやらゾンビのような精神力があるらしい。刺されても殴られても何度も立ち上がる。早くくたばれば楽ではあるけど、いつか人間に戻れる日に希望を抱いてゾンビも立ち上がるのだ。

 

そんなふうに自分の変化を強く実感する一年だった。自分の芯の部分が変わったというか、肝が座ったというか。

自分のことや「これだ」と思った物や人のことを信じる強さが備わりつつあると感じる。まだ完成してないけど。でも去年までの自分とは確実に違う。それだけは強く言える。

 

 

 

 

 

2021年を総括すると、たぶん愛に生きた一年だったのだろう。あらゆることに、仕事にも他人にも、そして自分にも愛を注いだ一年だった。自分とこんなに向き合ったのは人生で初めてだ。

 

良き一年だった。

明後日からもがんばろう。

 

12月26日 寒波と祈りと個性

寒波到来。

誰も死なないでこの寒波を乗り越えてほしい。星の名前のついた渋谷の銀行そばの路上で暮らしているおじいさんを思い浮かべる。

死なないでほしいと願うばかりの無責任さでは、願いも祈りも意味なんかない。さっきから自己嫌悪がひどい。寒いとネガティブになる。だから温かいものを飲もうと思う。あのおじいさんも温かいものを食べていてほしい。ほらまた願うばかりでさ…

 

誰も彼もが幸せになってほしい。

この「誰も彼も」に私も入るようになったのはここ数年のことで、それまでの私は自己犠牲の精神が過ぎた。

もう十分なくらい自己をすりへらし犠牲を払ってきたと思う。自分のがんばりを認められるようになったのもここ数年、2019年以降の話。

ぎりぎりまで自分を追い詰め我慢し不眠症気味になり、民間のカウンセリングを受け、心療内科に薬をもらいにいく一歩手前までいった結婚生活を送ったことで「自分も幸せになる必要がある」ことを学べたのだから結果オーライだ。塞翁が馬。

起きた出来事に意味をつけるのはいつだって未来の自分なんだと思う。

ちなみに離婚した元夫、なんだか幸せそうらしい。良かったなあと思う。元夫に対して「幸せそうで良かった」と思えるようになったのもある意味離婚のおかげで、相手にも私にも必要な出来事だったのだと思う。

 

 

とはいえ離婚を切り出すのはとても怖いことだった。

生活圏と親密圏が一緒だったから、離婚してその街を出て行かなくてはいけないかもしれないと思ったら、馴染みの飲食店とも友人知人とも全て離れてしまうような気がして、悲しくてつらくてやっぱり我慢しようと何度も思った。

そんなときに母が「どんなときも自分らしく生きなさい。周りの人があなたをどう思うかは今後のあなたの生き方次第。私はあなたのことを信じているから」と言って背中を押してくれたのだった。

 

 

自分らしく生きる、というのも難しけれど、自分の心が本当に求めているものは何なのか徹底的に声なき声を聞き続け思考に言葉を与え続け、言語化と認識と行動を繰り返し繰り返し生きている限りやっていくことなんだろうと思う。

 

その積み重ねがオリジナリティや個性や核というもので、世界に一つとして同じものは存在しない、自分だけが送ることのできる生なのだと思う。

それはときに苦しい、しんどい、怖い。オリジナリティという言葉が随分薄っぺらくなってしまったのは自分と向き合うことの苦しみの伴わない「個性」がもてはやされているからなのでは、なんてことも考える。

 

それにしても寒い夜だ。

押入れの奥の空気を思い出す。

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