百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

12月26日 寒波と祈りと個性

寒波到来。

誰も死なないでこの寒波を乗り越えてほしい。星の名前のついた渋谷の銀行そばの路上で暮らしているおじいさんを思い浮かべる。

死なないでほしいと願うばかりの無責任さでは、願いも祈りも意味なんかない。さっきから自己嫌悪がひどい。寒いとネガティブになる。だから温かいものを飲もうと思う。あのおじいさんも温かいものを食べていてほしい。ほらまた願うばかりでさ…

 

誰も彼もが幸せになってほしい。

この「誰も彼も」に私も入るようになったのはここ数年のことで、それまでの私は自己犠牲の精神が過ぎた。

もう十分なくらい自己をすりへらし犠牲を払ってきたと思う。自分のがんばりを認められるようになったのもここ数年、2019年以降の話。

ぎりぎりまで自分を追い詰め我慢し不眠症気味になり、民間のカウンセリングを受け、心療内科に薬をもらいにいく一歩手前までいった結婚生活を送ったことで「自分も幸せになる必要がある」ことを学べたのだから結果オーライだ。塞翁が馬。

起きた出来事に意味をつけるのはいつだって未来の自分なんだと思う。

ちなみに離婚した元夫、なんだか幸せそうらしい。良かったなあと思う。元夫に対して「幸せそうで良かった」と思えるようになったのもある意味離婚のおかげで、相手にも私にも必要な出来事だったのだと思う。

 

 

とはいえ離婚を切り出すのはとても怖いことだった。

生活圏と親密圏が一緒だったから、離婚してその街を出て行かなくてはいけないかもしれないと思ったら、馴染みの飲食店とも友人知人とも全て離れてしまうような気がして、悲しくてつらくてやっぱり我慢しようと何度も思った。

そんなときに母が「どんなときも自分らしく生きなさい。周りの人があなたをどう思うかは今後のあなたの生き方次第。私はあなたのことを信じているから」と言って背中を押してくれたのだった。

 

 

自分らしく生きる、というのも難しけれど、自分の心が本当に求めているものは何なのか徹底的に声なき声を聞き続け思考に言葉を与え続け、言語化と認識と行動を繰り返し繰り返し生きている限りやっていくことなんだろうと思う。

 

その積み重ねがオリジナリティや個性や核というもので、世界に一つとして同じものは存在しない、自分だけが送ることのできる生なのだと思う。

それはときに苦しい、しんどい、怖い。オリジナリティという言葉が随分薄っぺらくなってしまったのは自分と向き合うことの苦しみの伴わない「個性」がもてはやされているからなのでは、なんてことも考える。

 

それにしても寒い夜だ。

押入れの奥の空気を思い出す。

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