百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

2020_02_07 スピヴァク特集号の勉強会

BKY(文化人類学の古典を読む会)の第2回を開催した。我が家で。先輩にご足労いただく図々しい後輩である。


BKY当日の朝になっても課題図書を読み終わってなかった。寝てる間に読み終えるような睡眠読書なるものができれば良いのに、と思いつつランチを食べながら読了。
今回の課題図書は、現代思想スピヴァク特集号(1999.7-8)の論考で、次回の課題図書「サバルタンは語ることができるか」を読みやすくするためだ。
しかしいざBKYを始めると、私が読んでいた箇所は課題に指定された部分ではなかったことが判明した。おう。


先輩は全部目を通したことがあるとのことで、私が読んだ箇所に基づく議論に付き合ってくださった。


夕飯にはチキンカレーとレンズ豆のカレーを作り、先輩にも食べてもらった。夕飯を誰かと食べるのが幸せ。

 

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◾️読後メモ
アイデンティティーは本質主義的なもの。核となる何かがあり、それに当てはまるか否かで「人」に定義が与えられる。一方でエージェンシーは構築主義的なもの、主体的・主観的であり、選択されるもの。
・「サバルタンは語れない」というのは、彼らが発話することができないのではなく、発話(speak)しても聞かれる(listen)ことがない、サバルタンと知識人や第1世界の人々の間に言語行為が成り立たないことを指し示す。
サバルタンは「サバルタン性」や「サバルタン的」という理解のほうがしっくりくるかもしれない。
・発話の場には語る側と聞く側に不均衡なパワーの構造があるが、それに無意識的な研究者の多いこと。
ただでさえ人類学はその初期から植民地主義的で搾取的な学問であったという負の遺産を背負っているのに、90年代末になっても現地の人の発言を「お前は先住民ではない」などと否定する言説すら存在し、現在でもアイヌの遺骨訴訟で揉めるなど、研究者の説明責任・応答責任とはいったいなんなのだ、もうやめてくれよって話。


サバルタンの語りは、聞き取れた、と思った瞬間にまた遠くへ行ってしまい、永遠に手が届かない。そうした葛藤を抱えながらも、その語りを聞き取るためのやり方を試行錯誤し続ける必要がある。

 


◾️ライフログ

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