百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

11月2日(日) なんにでもなれますように

昨日は久しぶりに弟に会った。母と叔父と従弟と祖父にも会った。祖父が住んでいた戸建てを売ってマンションに引っ越したので、その片付けを手伝いながらみんなで夕飯を食べたのだ。

弟は夏前に会ったときよりも顔色が良くなっていた。会社は辞めたらしい。
これから出来ることややっていきたいことについて考えながら前に進もうとしていて、姉はほっと胸をなでおろすと同時に、彼がこれから先の人生も誰かや何かに縛られず自分の求めるものを求めて生きていけますように、と願った。

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帰り道にバーに寄った。蓄音機から流れる美しい音楽を聴きながらお酒を飲んでいたら、隣の人に話しかけられた。自分は本当にダメな酔っ払いなんだ、と随分酔ったその人は言った。同級生と飲んでいたんだけど今日は呆れられた気がするんだよね、と。
私はこうやって他人から突然懺悔のような、ごくプライベートな心情を聞かされることがよくある。前世は神父だったのかもしれない。

その人の話を聞きながら、私自身はこれからの時間をどう生きていきたいんだろうかと、そんなことを考えていた。

今の自分にだいぶ満足している。これは嘘じゃない。だけど不安や焦燥感もまだある。まだ何も成し遂げられていない焦り、収支がカツカツであること、そして出版という夢を叶えられていないもどかしさ。そういうものが内側にぐるぐるしているのを、私は知っている。「お前はまだ何もできていないじゃないか」と自分を責めるその声が「世間の声」を借りた自分の声であることも、わかっている。

時代や状況によって変わる世間の声なんてものを信じなくていいのに、それでも私たちはその声に縛られてしまう。昔は会社を辞めるなんてありえないことだった。それが今ではブラック企業で働くより辞めることを推奨されている。夫婦別姓についても議論が盛んに起きている。昔じゃありえなかったことが次々に起こる。そのうち人口減が進んだ日本では一夫多妻や不倫も問題視されなくなるかもしれない。
文化が変われば”常識”は変わる。文化は時間の流れと共に変わる、不変な文化というものは存在しない。なぜなら、文化とは人の生の営みの総称で、人間とは変わり続ける生き物だからだ。

 

それでも私たちはこの社会で生きている以上、全く社会や他人を顧みずに生きることはできない。
「そんなことはない、私は”自分”を貫いている」と豪語する人ほど、社会や世間という枠を参照/反発する形で「純然」を示そうとする、その姿勢自体が社会や世間を意識した結果であることを見落としている。

私たちは人間として生まれた以上、まったく社会や世間を外れることはできない。
他人とかかわりあっていろんな感情を味わっていろんな経験をして、だからこそ生きていける。人間であることの醍醐味はまさにそこにあるのだと私は思う。だからもう「純然たる自分」「本当の/本質の自分」というものを探す必要はない。流され、揺蕩う私が「私」であって良い。最近の私はずっとそんな風に思っている。

 

私にはもしかしたら軸がないのかもしれない。
逆説的に、その「軸のなさ」が私の軸なのかもしれない。

友人に「お前は誰でも受け入れすぎる」とよく言われる。そうなのかもしれない。どんな人にも自分のカケラを見てしまうから、誰のことも全くの他人だと思えない。もしかしたらその人は私だったかもしれない、と誰に対しても思ってしまう。好きな人も、社長氏も、親友も、行きつけのバーの店主も、そして隣で突然懺悔しはじめる酔っ払いも、その全てに「私」がいる。
そう思うと気持ちが温かくなる。私は最強のナルシストだから、究極的には他人を愛しているのではなく、他人の中に見える過去や未来やいつかの自分を愛しているのかもしれない。

 

誰にでもなりたいし、なんにでもなりたい。

そういえば、新卒の頃に働いていた職場でインストラクターの先輩が言った「商社マンはスーパーマンなんだ、なんでもできなきゃいけないんだ」という言葉をずっと覚えている。なんでもできなきゃいけないとは思わないけど、なんにでもなれたらいいな。アメーバのように、スライムのように、メタモンのように、輪郭のない存在になりたい。

不安も焦燥感ももどかしさも嫉妬も、愛しさも感動も喜びも楽しさも、全て内包した巨大なスライムが、今日も人間の形をしてバーでお酒を飲む。隣の人の話を聞く。特に何かを言った記憶もないけれど、帰宅したあと、バーの店主から「お客さんが岡本さんと話せて喜んでいた」とLINEをもらう。なんにでもなりたい。全て混ざり合った混沌の色は、実は透明にかぎりなく近いのかもしれない。わからない。わからないまま生きていきたい。

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