昨日は昼過ぎから世田谷あたりで読書会に参加し、夕方には友達と待ち合わせて表参道へ坂口恭平の個展を見に行った。
読書会で取り上げられたのは渡邉雅子著『論理的思考とは何か』という比較教育学の本で、固いタイトルとは裏腹に内容は相当面白いですよ、と聞いていたけれどやっぱり固い感じの本だった。それはそれとして、ゼミに参加しているような気分で楽しく議論の輪に参加させてもらったのだった。
先日のゼミ飲みのときにも思ったけれど、こういう交流会や飲み会の場で学術的な話をするのは面白い。ざっくばらん、ほろ酔い気分で「とりあえず言ってみた」という自由な発言が許される場でありながら、言葉をどう定義するかや他者の意見の傾聴の姿勢が大切であることなどへの共通認識が存在している場なので、話がしやすい。
こうして多様な視点で話が織りなされていくと、自分にはなかった視点にハッとさせられることも多くある。要するに、楽しい。

読書会のあとは坂口恭平のパステルを見た。
彼にとっての愛しい瞬間、彼の心になんらか訴えかけた場面を切り取った絵画の数々に圧倒され、気がついたら私は泣いていた。感動するとすぐに泣いてしまう。生活が、人生が、自然が、光が、影が、すべて愛おしいのだった。その一瞬を取りこぼさないようにと動かされた手。その一瞬に全てが存在するかのように掬い上げられた場面。
人生はなんて愛おしいんだろう、と思う。闇や苦しみすら愛おしい。
そんなお花畑な感想を抱く私だって、それなりに人生で闇や苦しみを味わってきたと思う。もちろん辛さは人それぞれで、比べられるものじゃないから、誰だってその人なりの苦しみを味わっていると思うのだけど。人それぞれの地獄がある。私には私の地獄の経験が、あなたにはあなたの。
それでも人生は美しいと思うし、愛おしいものだと思う。何か目標が達成されたり欲しいものが手に入ったあとに「愛おしい」と思うのではなくて、もうすでに美しく愛おしい世界に私たちは生きていた。

そんなことを思いながら個展をあとにし、代々木くんだりで友人と中華をつまみながらお酒を飲み、気づいたら恋バナになっていた。
彼が冷たい、という悩みにいろんなツッコミを受けているうちに、私のほうが塩対応をしていたことを思い知らされる。放置されすぎでは、という不満を紐解いていくと、「私に構わないでください」という私の態度に対するアンサーだった。他者の視点で私の行為を見ることの大切さを改めて思い知らされる。
それにしても男性の愛は深い。
わかっていたはずなのに忘れていた。
衝撃や恥ずかしさで頭をぐしゃぐしゃに掻きむしりながら帰路につく。先日パーマをかけたばかりの髪は、どんなに掻きむしっても無造作風に落ち着いてくれるので便利。
帰りしな、行きつけのバーで締めに飲む。
恥と後悔のあまり「強いお酒をください…」と芋焼酎を濃い目でいただくも、特に記憶も飛ばずに無事帰宅する。
