百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

11月13日(水) 衝動ではしる

ここ数日、なんかスイッチの入らない感覚の日々だった。今日の朝までそんな感覚で、胸の奥はすーすーしていた。

私には「こう在りたい」という未来の自分の姿がある。その未来に旗を立てて現在からそこに走っていくというか、あるいは未来の「こう在りたい」から逆算のような形で現在があるのかもしれないけど、とにかく未来の欲しいものや欲しい在り方がいつもあるし、そこに向けて今の生活を過ごしている感覚がある。(このへんの話を坂口恭平が今年出した本で書いていてビックリした。坂口恭平のファンなのでなんだか嬉しい)

 

私が未来に向けて走るときの動力は「衝動」だと思う。「これが好きなんだ!!」という情熱というのか、いや、好きという次元じゃない、やらねばならぬ、居ても立っても居られない、というまさに衝動。それに出会ってしまったからには命が尽きるまで作り続け、表現し続けなくては。より良い表現を探して生み出さなくてはという、使命感にも近い感覚。その衝動が流れてる時の胸の奥は熱くて、マグマの川のよう。そこに触れるといつでも感動や感謝で涙が出てくる。

変な例えばかり用いてまたふわふわ魚座のふわふわ説明が続いてるよ、と我ながら思うけど、ソウルメイト(仮)や恋人にこの感覚を説明したら分かってもらえたので、伝わる人には伝わる感覚なのだと思う。

 

だけど時々、心がもやもやして動けなくなる期間がある。ソーウツな私のやや鬱期間である。体は元気だし眠れるし食べれるけど、胸の奥がすーすーする。衝動がない。ときめきがない。心が動いてない感じ。

そういう心の状態なのに無理して未来の自分に近づこうとすると大抵は事故るということをこの数年でよく学んだので、心が止まってるときは頭や体もなるべく動かさないようにしている。と言いつつも人間はそんなに単純じゃない。やっぱり頭は勝手に働く。そして勝手にめちゃくちゃ焦り、めちゃくちゃに自分を追い立てる。

 

もうすぐ文学フリマなのに原稿進んでないよ?!いいの?!書けないの?!文章しかないとかインドが好きとか言っておきながら書けないの?!無理にでも書けや手を動かせや!てか博論は?進んでないよね?書かないの?調査に協力してくれたみんなのために書きたいんでしょ?おら手を動かせや!!てか翻訳は?仕事として引き受けたんでしょ?おいこら(以下略。

 

みたいな声がはっきりと聞こえればまだ「あ、自分責めしてるな、やーめよ」と思えるのだけど、当たり前のように頭の中にある自己否定の観念は見慣れすぎていてなかなか気づけない。今朝まで自分を責めたてながら無理やり未来の目標に自分を動かそうとしていたことに気づかなかった。

 

これは私の傾向だけど、自分責めがひどいときは他人や周囲に感謝できなくなる。今朝、「最近いろんなことに対して心からありがとうって思えてないな」と感じたことで、息を吸うようにナチュラルに自己否定していたことに気がつけた。そこに気づいたら、あとはやめるだけ。(私の自己否定のやめ方はかなりクセがあって書いたら長くなりそうなので割愛)

 

そうやって自己否定に気づいたあと、なんとなく過去の自分のインスタの投稿を見ていたら、ある投稿の文章を読んでバチンっと心のスイッチが入った。

そうだった。スポットライトを避けながら誰も気づいてくれないと文句を言うのをやめると決めたのだった。私は自分の素直な感覚や正直な本音を隠すのをやめると決めたのだ。自分も表舞台に立つ覚悟と決意をしたのだ。

数日ぶりの沸々と湧いてくる感覚に「これこれこれー!」と駆け出したくなる。ありがたい。これでまた進める。というか、足が勝手に走り出していく。

12月1日の文学フリマにむけて、新刊を準備しようと思います。がんばるぞ。

f:id:bharatiiya:20241114011616j:image