百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

11月12日(火) 引き出しがまた増えた

ばたばたの日々が続く。

先週、実家が火事になった。うちは標高の高い寒いとこにあるので薪ストーブを使っているのだが、その灰の不始末が原因で灯油に火がついてえらいことになってしまったのだった。幸いにも両親、犬、猫、すべて無事。家も半焼で済んだし、屋根裏まで火が回ったのに全焼しなかったのは奇跡とまで言われた。

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それでも火事は火事なので、家中が焼けこげた匂いと壁紙など化学物質の溶けたような匂いに包まれていて気分が悪くなるし、電気は使えないし、お風呂にも入れない。トイレはかろうじて使えるようにしたけれど、とてもじゃないが住めないので、近くの貸別荘を借りてそこから通いで家を片付けに行く生活となった。

そんなわけで私と弟もしばらく実家に帰って家の片付けや諸々の手続きを手伝っていたが、その火事を発端に父と母が離婚前提での別居を始めることになり、それでさらにばたばたした。

 

離婚する理由はお互いへの不信感が決定的なものになったことだった。

母は懸命に消火活動をしたが、灯油に引火して火の手が上がる家を父は呆けたように口を開けて見ているばかりだったらしい。そもそも火災の原因は父がストーブの燃えかすに水をかけるのを忘れたから。母は火を前にかなり恐怖して、それでもやらねばと体を動かし続けたのに、父は原因を作ったどころかその後に母を守ることさえしてくれなかったと。父にもストレスがあるだろうからと言いたいことを我慢していたが、もうそれも限界を迎えたそうだ。

 

父にも言い分がある。父がどんな状況にあっても母は話を聞こうとしてくれないし、責めるような言い方や態度がキツいらしい。二人はなにかを話し合いで決めることをしてこなかった。どちらかが一方的に決めるばかり。父の性格的に、人に心を開いたり頼ったりするのが苦手というのもある。その性格を母には理解していてほしかったのかもしれないが、母は父に「変われ」と言うばかり。父いわく、もう一緒にいるのがしんどいのだと。

 

私は、寂しいけれど離婚してもいいと思っている。そもそも離婚が悪いとも思っていないし。どんな経験にも良い/悪いなんてなくて、自分がその経験をどう捉えるか、その経験をあとの人生にどう活かしていくか、しかない。

ただひたすら、父にも母にも幸せになってほしいと願ってる。

幸せとは、自分らしく、我慢せず、日々の些細なことにも楽しさや喜びを感じて生きることだと思う。

二人が一緒にいないほうが今よりももっと幸せを感じられるのなら、娘の私が望むのは何よりも親の幸せなのだから、離婚したって全然良い。というか、幸せになるためのステップとしての離婚であってほしい。

 

もちろん寂しさもすごくある。一人で部屋に戻ってたくさん泣いた。でもその寂しさや、家族の形が変わるという経験をすることで、私はまた一つ人生の奥深さを知って生きていけるんだろうとフラットに感じてもいる。私の中に引き出しが一つ増えるだけ。あとは私がその引き出しをどう使うか、経験をどう意味づけるかに全てかかっている。

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二人のパートナーシップのあり方からも良い学びを得た。私も無意識に我慢していたと気づけたのだ。たくさんの「〜せねば」が私の頭に浮かんでくる。これ全て「我慢」だな。

その我慢を減らして、人を信頼することや頼ることを増やしていきたい。心のままに自由に、ある意味わがままに生きることを自分にもっと許可していきたい。その心地よさを好きな人にも味わってほしいと思うから、相手の自由な振る舞いを心の底から許せるようになるのだと思う。自分の心地よさを大切にしながら相手の自由や心地よさを尊重できることが「思いやり」なのでしょう。

とにかく私は我慢しているものをどんどんやめていこうと決めた。

大好きな両親だからこそ二人の幸せを願うし、二人から教えてもらったことを活かして自分のことも幸せにしよう。

 

そんなことを手紙にして両親に送った。父も母もそれぞれLINEで返事をくれた。どちらも返信内容は似ていて、別々に暮らしていてもやはり私の親なのだなと思ってクスッとした。

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