百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

10月27日(日) 書いて整理

混乱するような出来事に触れたとき、てっとりばやく頭を整理するために私はよく文字を使う。このブログや他のSNSで雑然と自由に書きながら、少しずつ頭の中のこんがらがった黒いモヤモヤを解きほぐす。私に文字があってよかった。アウトプットのための空間があってよかった。そう思いながら今日も文字を書く。

 

私の中で「友情」と「恋愛」は両立できないものだという観念があるのだと思う。だから友人と恋人を天秤にかけてしまったり、あまり友人に恋人のことを話すのが好きじゃなかったり、友人との約束より恋人との約束を優先することに抵抗を覚えたりする。

なぜなら、そうやってセーブしていないと私は恋人一辺倒になる人間だということを自覚しているからだ。そこに罪悪感を覚える。これは以前も書いたとおり。

 

他人を雑に扱いたくない。好きな人たちならば尚のこと。私との時間を作ってくれる、お金かけて会いに来てくれる、それに対して等しく感謝して過ごしたい。

だけど私のもう一つの本音は「彼を優先したい!」なのだ。彼と過ごしたい、彼といる時間がより楽しい、そう感じてしまう。

そう思うことに蓋するのをやめて「彼を優先したい」を素直に認めた結果が、以前の日記にも書いた「友達との飲みの約束を反故にして彼と飲みに行く」ことだった。

 

それでもまだどこかにしこりが残っていたのか、今日も彼と友達のあいだで私は板挟みになってしまった。

友達が泊まりに来ていたのだけど、彼もうちに来たいと言ってくれて、私はどちらも大切にしたいけどできれば彼と過ごしたい、でも友達にも悪く思われたくないからそれらしい理由で友達に1人で外出してもらうよう頼み、でもその友達がゆっくり外出支度しているのを急かすこともできず、1人だけ気持ちがそわそわしていた結果…

タイミングあわず、彼は家に帰ってしまった。友達と玄関先で鉢合わせてバツが悪い思いをしたらしい。不機嫌なオーラを発しながら、今日は帰るね、と。それがすごく悲しかった。

 

嫌なことが起きたとき、私は感情が思いっきり揺さぶられるタイプだから、泣くし怒るし喚く。

友達は出かけ、彼は引き返し、一人になった家でわあわあ暴れた。終わらせてやる!とまで過激に思った。悲しい!寂しい!会いたかった!から、合鍵返せ!二度と来るな!あんたのコミュニケーション方法どうにかしろ!てかあんた側の環境どうにかしろ!まで、バリエーション豊かな感情の波に揺られる。

思ったことは素直に豪速球で本人に投げるタイプなので彼にもLINEした。そしてその自分の言葉に自分で傷ついてもいる。彼を傷つけてしまったかもしれないことに、私自身が傷ついてしまう。

 

私は本当は何を望んでいたんだろうな。

この出来事や感情の荒れは私に何を気づかせてくれるためのきっかけだったのかな。

少し冷静になった頭でそんなことを思ってみる。転んでもタダでは起きない性格で良かったと思う。この悲しみや怒りから、私は何かを掴み取って、またより良い未来に進んでいくんだと思う。

淹れかけのコーヒーポットを片付けて、少しまた悲しくなって、私はまた自分を被害者、彼を加害者として仕立てるような思考に陥っていないか、と点検しながら、ともかく感情の荒れにひたっている。

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追記.

彼からは謝罪の連絡がきた。頑固で、謝ることも謝られることもあんまり好きではない人で、以前はケンカしてもほとんど謝罪された記憶がない。なあなあに流して終わらせるような人だった。変わったんだなと思う。変わってくれた、と言うべきか。それでも私はまだモヤモヤしていて、何かに不満を持っていて、これはなんなのだろうな。ただ彼と過ごしたい、愛情を感じ合いたい。そんな「普通」な欲求が出てくる。