百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

10月22日(火) 想像と祈り

昨夜は親友と夜の公園に出掛けてピクニックをした。オリオン座流星群が見えるかもしれないとニュースで聞いてわくわくしていたのだけど、空は見事なまでに一面の曇天。流れ星どころか星も月も隠れてしまっている。残念だなあと話しながら手作りクッキーを食べコーヒーを飲んで芝生に転がった。

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それでも芝生は気持ちよかったし、ときどき雲の隙間から見える月の光が幻想的で、曇天を眺めて過ごすのも良い時間だった。

何よりもここ最近の悩みについて、友達に話を聞いてもらえたことが嬉しかった。

 

私の弟は去年からメンタルのトラブルを患っている。仕事に支障が出るようになったので基本的には休職していて、たまに産業医とやりとりしたり会社の人からの連絡に応えたりしているらしい。

今年に入ってから少しずつ調子が良くなってきたので、今月になって仕事への復帰を目指して都内に引っ越してきたばかりだった。

それがまたメンタルの調子を崩しているようで、本人と連絡がとれなくなった、と勤務先から実家に連絡が入ったのだ。母のLINEにも私のLINEにも無反応で1日が経過していた。

実家は群馬なので、同じ都内に住む私がまず様子を見に行くことに。それがめちゃくちゃ怖かった。何かあったらどうしようと震えて、おどおどして、弟の住んでる場所はここから遠いからお腹が減るかもしれない、と意味不明な理由で台所に突っ立ったままインドのカップ麺を食べた。人間はパニックになると意味のわからない行動をする。

 

そうして家を出る直前に、弟がLINEに返事をしてきたのだった。

 

弟は私にも両親にも「たいしたことじゃないから会いに来なくて平気だよ」と言う。私はめちゃくちゃ安堵したけど、もしかしたら、真実を知るのが怖いからその言葉を間に受けることを選んだのかもしれない。

その言葉を、ひいては弟のことを信じるのか、それとも無理やりにでも会いに行って問題ないか確かめるのか、どちらが正しいのか私にはわからなかった。

 

そんな悩みを大切な人に聞いてもらい、「その答えは誰にもわからない」という結論に達して、私はむしろスッキリした。わからない。正解はない。それならあとは「私はどうしたいか」を心に問うて、その決めたことに自分で責任とるだけだ。

 

弟の言葉が嘘か本当かわからないし、仮に嘘だったとして、優しさやプライドゆえに吐く嘘を暴くべきか暴かないでいてあげるべきか、そういう問いにも答えはなく、なんであれ「自分で決めた」という事実しか私たちの手元には残らない。

祈りと想像力は似ていると聞いた。どちらも等しく無力だと。でも、どちらもかけがえなく大切なものだ。

 

そして無力だと思っていても、どうしても祈ってしまう。そこに力が1%でもあると信じたくなる。

今日も私の大好きな人がよく眠れていますように。すこやかでありますように。少しでも希望や安らぎを感じていますように。つい、祈る。