百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々 (web→ https://lit.link/okapindia)

7月5日(金) 海炭市叙景と函館

朝この日記を書くとどうしても話の中心は前日に起こった出来事になる。だからタイトルの日付と書いてある内容が一日ずれるわけだ。当たり前のことなのだけど今日まで気づかなかった。まあいい。

 

友達がくれた本を読み始めた。『海炭市叙景』という。函館をモデルに書いたと言われる、佐藤泰志の作品である。

この作家のことは数年前に三宅唱が撮った映画『きみの鳥はうたえる』で知った。その時からずっと読みたいなと思いつつ脇に置いていたのだけど、先日友達と古本屋に行ったときに思い出し、そんな話をした。

その古本屋に置いてあった初版本は4000円くらいのお値段で、私には高くて手が出なかった。そうしたら後日、友達が文庫版をプレゼントしてくれたのだった。

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今から10年前、私は函館出身の人と付き合って同棲していた。

彼は函館を嫌いではなかったと思うが、あの街には何もないというようなことをよく言っていた。彼から聞く函館の話はどんより曇った地方都市を連想させるものだった。彼は両親との仲があまり良くなかったから、なおさら故郷に対して思うところがあったのかもしれない。

映画『きみの鳥はうたえる』を観たときは、そんな私の中の函館のイメージと青春の終わりにある切なさやモラトリアムを感じさせる演出が噛み合って、居てもたってもいられないような気分になった。

函館には一度行ったことがあるのに、彼の話と映画の中の函館のほうがよっぽどリアルで、私の見た赤レンガ倉庫や五稜郭はどこか作り物というか、嘘くさい、うわべの何かに見えていた。その頃にはもう彼と別れていて、この感想を伝える相手はどこにもいなかったのだけど。

 

海炭市叙景』の中で、キラキラした観光地としての街の裏にある、その土地で生きざるを得ない人たちのもがきや諦観を目にし、改めて彼の語る函館を思い出していた。

今は冬の章を読んでいるから、どんよりしているのも仕方ないことかもしれない。本来は海炭市=函館に住む人々の様子が四季に沿って描かれる予定で、作品は春の章まで書かれているものの、そのあと佐藤は自殺してしまった。

夏と秋の函館を私は知ることができない。