百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

11月18日 身体の中で言葉が熟す

言葉が熟すまで時間がかかるタイプなのだと思う。だからぱっぱっと丁々発止なやりとりをするにはむいてない。自分が何を言いたいのか、わからなくなってしまうから。

 

少し前まではそれが嫌だった。ぱきぱきと面白い掛け合いをしている飲み仲間たちを見ては、私も私もと背伸びをして会話に加わって疲れたり。「オチは?」と聞かれると自分の言葉が未熟でつまらないと言われているような気がして、あらかじめ起承転結をつけた「すべらない話」を用意したり。要領を得ない自分の言葉に自分で落ち込んだり。

 

最近はそういうことがなくなった。ウィットに富んだ切り返しが毎回できなくても、水で薄めたような言葉を発するよりマシだと思うようになった。

(私が発するとだいたい薄くなるという意味で、濃いままやりとりできる人たちは沢山いる)

 

私の言葉は、身体の中で、時間をかけて熟れていく。体系をもたない言葉の切れ端がやがて形になり言葉になり現れる。それを表す。

向いているのは文章を書くこと。得意だし、書くこと自体がとても好き。

そして、ぐちゃぐちゃな言葉、感覚のまま体系を持たず口から飛び出してくる拙い言葉たちも好きで、それを「で?」とか「オチは?」とか「噛み合ってない」と言わず、急かさず、ただ聞いてくれる人たちのことも大好きだ。ありがたいと思う。愛しいよ。

 

私は自分ではないものになろうとしなくていいのだと強く思う今日この頃。

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