百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

11月11日 ネットのない生活、床に寝る日々

引き続きインドにいる岡本です。

 

今はパンジャーブ州だけど、少し前まではジャンムー・カシミール(J&K)のジャンムー側にいました。

 

J&Kは帰属や独立をめぐって今もごたごた(だいぶ端折りすぎな言葉ですが)のある地域でして、数年前にはカシミールの分離運動を封じ込めたいという意図の見えすいた超法規的な措置でネットが使えなくなるなどしてました。今はその措置自体は解除されたそうですが、引き続き外国人などはネットや電話の使用が制限されていて、要はアウトサイダーである私は5日間ネットが全く使えなかったわけです。

それはそれで煩わしい連絡がこないとか、こっちも気にして連絡しなきゃというプレッシャーがないとか、SNSのチェックをしない日々の気楽さとか、メリットが多かったので問題なかったんですけど。

 

ジャンムーのジリという地域のメーラー(縁日)に参加していたんですが、これが初参加の私にはなかなか過酷な日々でして…同行者のインド人は皆楽しそうだったし私も楽しいと思った部分はあったんですけど、やっぱ自分はこういう生活を喜んで受け入れることはできないなあと痛感しました。

以前マニカランという地域に行ってコンクリ床に薄いマットレスを敷いて数日過ごした時もかなり辛かったんですけど、あのときは温泉があってお風呂には困らなかったんですよね。今回は水風呂で、修行僧かな?と思うような日々でした。

 

以上です☆

 

f:id:bharatiiya:20221112142737j:image

 

…ここからはちょっと人によっては不謹慎に感じられるかもしれないことを書くので(それでTwitterへの投稿はやめた)、これは私が知識を体験として落とし込みたい性質の持ち主だという前提の上で、苦手なら読み飛ばしてください。

 

 

ジリでの生活が、私には本で読んだ難民キャンプに関する知識と重なるところがかなりあった。

雰囲気はお祭りだから決定的に違うとは言え、今取り組んでいる1984年の虐殺の論文を、よりリアリティをもって書けるようになったと感じている。

 

私は同行者の人のお父さんが30年前に建てたという建物の中で過ごせたため屋根も床も壁もあったけど、多くの人は屋外の空き地にタープを張っただけの場所で雑魚寝で、もちろん床もないのでデコボコした地面に各々持ってきた毛布なりを敷いて寝ている。誰かの荷物が盗まれたようで隣の空き地ではちょっとした騒乱も起きていた。

期間中に2日間は雨がぱらつき、基本的には曇天で、気温もおそらく10度台前半だったと思う。夜はもっと冷えたはずだから、屋外組は相当過酷な環境だったんじゃないかと思う。

 

大規模な宿坊のような建物があるが、そこも人々がすし詰め状態。床に毛布や簡易マットレスのようなものを敷いて雑魚寝。色んな人が行き来するので毛布は瞬く間に土や泥で汚れていく。

この建物は空気がかなりこもっていて、コロナの激しい時期だったら恐らく蔓延しているだろうなと直感するような環境だった。

 

そんな中で幸運にも屋根と壁と床(セメント)のある個人の家で6人という少人数で過ごせたわけだけど、セメント床に薄い毛布を敷いて寝るしかないので、底冷えするわ腰とひざや腕の関節が痛むわで快適とは言い難い。

この家の毛布を出したのはコロナ禍以降初だというので2年ぶりか、かなり埃っぽく、夜になると鼻水と咳がひどくなる。

当然、よく眠れない。体力が日に日に落ちていくのが体感としてわかる。私は体調を崩さなかったけど、同行者のインド人5人のうち2人が風邪をひいた。

 

お湯はないので冷水で体や髪を洗う。

食べ物はランガル(≒ボランティア運営の炊き出し)や屋外の配布所で無料で食べられるけど、だいたいどこも混んでいて、人が配布所に殺到しているか長蛇の列ができているか。

しょっちゅう停電し、最終日はほとんど電気のない状態で過ごしていた。ロウソクに火がついたとき、灯りがあるというのはここまで心強いのかと思い知る。

 

ネットはもちろん電話も通じないので、はぐれないように基本的には集団行動だけど、たまにはぐれるとその場所から動けなくなるか建物に帰ってくるのを待つしかないので物事が予定通りに進まなくなる。

 

 

幸いにも着替えの服があったことやランガル施設がたくさんあったので空いてるところを見つけさえすれば飢えることはなかったことが、難民キャンプとは全く違う部分ではあるけども。

とにもかくにも「縁日」という言葉から想像していた生活とはかけ離れた過酷な5日間を経験できた。

 

こういう生活体験と、難民キャンプというそもそも悲惨な出来事が起きた上での生活を、簡単に結びつけるのは倫理上問題があると頭では理解しつつ、

似ている経験を知識に結びつけることでやっと心の引き出しにしまえる(=腑に落とせる)という側面もあり、忘れ難い貴重な経験ができたと感じている。もう二度と行きたくないが。

 

f:id:bharatiiya:20221112143240j:image