百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

5月26日 アンガーマネジメント

だいぶ間があいていた。

紙ベースの日記はほぼ毎日書いているので「まだ書き足らんぞ」と思ったときにブログの存在を思い出して書く、というスタイルでやっていたら4月〜5月はだいぶ書くことに満足いっていたらしい。

 

満足というか、やるべきだと思って半分くらい義務感で取り組んでいたのだけど、4月から5月中旬まで思考と感情の深掘りのために日記の他にメンタルケアのノートを書いていた。

これはアンガーマネジメントの一環として指導を受けたもので、日々の感情の揺れ動きをメモして、なぜそう感じたのか、客観的事実は何か、自分はそれにどのような意味づけをした(結果として感情が動いた)のか、本当は何を望んでいた(いる)のか、を細かく分析するノートである。

 

先日の日記に書いたとおり、4月にある人と大きな喧嘩をした。たびたび諍いはあったけど、これはもうこの人との縁は終わったなとすら思った。

そのとき、その人から「いつか僕を憎む気がする」と言われた。それがずっと心に引っかかっていた。人を憎むのは嫌だな、と思う。

 

その人の直感は野生動物なのかと思うほど鋭い。そんな人が私はいつか彼を憎むと言うのだから、このままいったら憎んでしまうんだなと思った。なので憎まないようになろうと決めた。

 

実は、私は自分のことをそこまで怒りっぽいとは思っていなかったのだけど、アンガーマネジメントのカウンセリングを受けると、現象を受け取ったときに怒りが出やすいタイプだと判明した。

怒りというのは「二次感情(第二感情)」と呼ばれるもので、そのベースにある本当の感情は「思考が停止するほどの強い恐怖や強い悲しさ」らしい。

脳というのは人間が生きていくために必要なあらゆる指示を出す器官である。心が受ける強いショックで衝動的に死なないように、脳はその刺激を別の感情として発露することで心の痛みを軽減しようとする。

それが人によっては「怒り」として現れるのだという。

 

なので、怒りっぽいのを治したいなら、怒りの直前にかすかに感じる一瞬の感情を掴む必要がある。

とはいえ慣れていないとそれは難しいので、まずは普段から自分が何を見てどう感じるのかを細かく気づくよう習慣づける。怒りだけでなく、嬉しい楽しい悲しい寂しいなど感情を全部メモをする。その感情の引き金となった出来事もメモする。後にその出来事の「客観的事実」を洗い出す。

 

そうすると徐々に怒りのベースにある感情に気づけるようになる。この段階でもうほとんど怒らなくなっている。

巷でよく聞く「怒りを感じたら6秒間別のことを考える」というのも有効らしいが、感情を客観的に見つめる癖がついてないとただの「怒りのやり過ごし」に終わってしまい、結局は怒りを繰り返すことになる、と言われた。

一方でこの「感情の動きに敏感になる」方法だと、時間はかかるし慣れるまでつらいが、怒る前の感情の段階で昇華してあげることができる。つまりほとんど怒らなくなる。

 

さらに、怒りのベースにある「悲しい」や「不安」も解消する方法がある。というか「悲しい」「不安」をそのまま感じていると人によっては鬱病になるので、悲しさなどの解消もセットでやったほうがいいらしい。(死なないために怒りの形で発露させていたのだから、怒ることができなくなったら心の痛みが増えて病む)

 

だいたいの悲しさや不安は過去の経験や思い込みによって回路が出来上がっているらしいので、解消したい感情について、過去に何があったのか、現在とどう関係あるのか、それはただの思い込みではないか、本当はどうしたいのか、その実行は無理なのか、あるいは無理だと思っているだけなのか、などを問いかけながらノートを書く。

私は今この段階にいる。

 

慣れてきたおかげで怒りのときのノートよりも手早く書けるようになってきたけど、それでも「なーんで自分が何を本当に望んでいるのか理解するのにこんなに時間がかかるんじゃ」とは思う。

自分のことを深く知るというのは、難しい。でも嫌じゃない。きっと未来の私に必要なことなんだと思う。

 

そんなわけで最近はずっと自分に向き合っている。

 

その人とはひとまず仲直りしたけど、いつかはこのきっかけをくれた彼に心の底からの感謝をちゃんと伝えたい。

それを伝えるためにも、自分の感情や望みをもっと瞬発的にクリアに捉えられるように精進ですな。

 

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