百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

12月7日 つれた首/離れること

昨夜に首が攣れてしまってから痛みがまだひかない。

湿布を貼って安静に過ごすしかないらしい。とは言いつつも先生に論文指導をお願いしていたので学校へ行った。

 

先生はまだお若いのだけど今年度でアカデミアを離れ、自宅とインドとを行ったり来たりする生活をするのだという。

そうかあ、いいなあ、と思った。

いいなあと思うのはやっぱり私が研究職に興味がそんなにないからで、そういえばこのあいだ「本当の本当は何がやりたいの?」と自問自答していたら「沢木耕太郎のようなルポルタージュが書きたい」という願望がひょっこり出てきたのだった。

でも腑に落ちた。高校生の時に私の人生を変えたルポライターだ。あの頃からずっと憧れが心の奥に眠っている。

いま書いている論文もエスノグラフィーやライフストーリーが軸になっていて、その部分を書いているのはとっても楽しいのだけど理論のパートになると書きたくなくてつらくて面倒くさくて仕方ない。

私は自分の見聞きして体験した出来事、私とつながっている人々や世界のことを描きたい。「私」という存在を文章からどうしても消せない。だから理論がつまらなく思える。

 

自分という存在を極力抜きにして書かれた文化人類学の著作もあるが、それは後年になって批判されている。

世界はどうあがいても自分の知覚を通してしか認識できないのに、その自分がいないように描くのはかえって「ウソ」になるのだ。(と私は思う)

 

 

アカデミアから離れたらかえって研究が愛おしく思えるかもしれない。それは逃げなのかもしれないけど。

つれた首でもって考えた一日。まあ寒いと考えがネガティブになるやんね。

 

そんなこんなペペロンチーノ

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