百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

12月30日、SNSについて考えたこと

知人の一人が来年からSNSを一切辞めると言う。なんとなく、そういう人はこれから増えるだろうなと思う。速さとSNS(というかインターネット)には親和性があり、今は社会が徐々にスピードを落とそうとしている時期だからだ。

社会を大きな臼に例えて、その回転が速くなればなるほど振り落とされる人が増えるのだという話がある。その例えがあっているのだとして、"振り落とされた"人々が増えれば彼らが新しいコミュニティーを臼の周りに作って新しい時代が来るんじゃないかと、もうとっくの昔に振り落とされている(あるいは最初から臼の上に登れなかった)私はぼんやり思っている。

楽観的でも肯定的でも否定的でも悲観的でもなく、そうやって波として繰り返されていくのが歴史なんだと、時の流れの信奉者としてそう思う。

 

それはそれとして、SNSをそこまで使いこなせていない私は、このあいだの記事に書いたように(12月28日 私は水になりたい - 百年の一日)各種SNSをリンクしてnoteに集約することで身体の境界線を透明にできないかなと思っている。要は各種SNSを今よりも使い倒すということだ。

 

冒頭の知人がSNS断ちを思い立った理由を聞いて、私も以前それと近いことを考えた結果として全く逆の決意に至ったのは面白いなあと思う。

自分の時間を生きる、他者の視線を意識しないで自分として生きるために、矛盾点も全て曝け出して裏も表もなくリアルもネットもなく、ただただ全ての思考を垂れ流すのはどうだろう、と思いついたのだ。

最初はすごく疲れるだらうけどフレームができたらあとは楽そうだ。疲れるのは整合性を取ろうとしたり、何を見せて何を見せないか選択するからかなという仮説を立てている。だったら最初から選択を捨てて矛盾も見せれば良いのかなと。

 

 

自分の人生が自分一人のものにならないように、そして私が自分の人生だけを生きるのではなく想像力を持って他人の人生も体験できるようになることを、生きる目標の一つに掲げている。先日の決意がその一助となりますように。

 

とはいえ続かない私なので三日くらいで放り投げる可能性もある。温かい目で見守っていただけますよう。

 

◼️写真

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◼️音楽


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