百年の一日

インドとお酒に溺れている岡本の日々

永遠に生きる猫

朝から悲しい知らせを聞いた。

友達の家にいる猫ちゃん、私のとこの猫のお兄ちゃんにあたる子が突然死してしまったという。死因は不明。

この子たちは2017年9月26日に生まれた三兄弟で、次男坊を私が引き取り、長男と三男を友達が引き取った。まだ2歳半を過ぎたばかりの若い猫たちなのだ。それなのに死んでしまうなんて…。

 

うちの子と違ってあまり他人に懐かない猫ちゃんだったけど、友達が社員旅行に行ったときなどに何日か続けてご飯をあげに行くと、少しずつ距離を詰めてくるかわいい子だった。倒れてしまったその子や、その子を発見したときの友達の気持ちを想像してひとしきり泣いた。

 

ネットで突然死の原因を調べてみるとアレルギーや心筋梗塞やいろんなケースがあるようだった。

遺伝性の場合もある。その記述を目にした途端に「もしかしてうちの子も」と嫌な想像をしてしまい、友達のことで溢れていた涙はうちの子がいなくなったらという妄想への涙に変わってしまった。我ながら自分は嫌なやつだと思う。

 

でも本当に、もしうちの子がいなくなってしまったら、私はなんのために家に帰れば良いのか、なんのために家があるのかもわからなくなる。

猫はほとんどエイリアンのようなもので、猫好きの人は脳みそを書き換えられて「猫のために生きるよう」仕向けられているのではないかと常々疑っていたけれど、失うことを想像するときに襲われるとてつもない喪失感と深い悲しみから、この脳みそ書き換えは真実なのだと思わざるを得ない。

 

最近、アファメーションという言葉を知った。ポジティブな言葉を言い聞かせてそれが真実なのだと脳に錯覚させ現実にするという目標達成の手段らしい。

それを知ってから私は時折うちの子に「あなたは永遠に生きる猫よ」と言い聞かせている。彼の脳みそがそうやって錯覚して永遠に生きてくれるように。

今日からはこれを毎日やるようにする。路上で見かけた猫にもやることにする。あらゆる猫が永遠に生きてくれるように、猫を見かけたら必ず言い聞かせるようにする。「あなたは、永遠に生きるのよ」。

そして友達の猫の魂が永遠に安らかであるように、永遠に愛を感じていられるように祈る。

猫には猫の死後の世界があって、というのも人間には罪があるかもしれないけれど基本的に全ての猫は天使なのだし罪がないのだから地獄という概念は存在するはずがなくて、だから天国だけ、ならわざわざ「天の国」という名前もいらないはずだから猫の死後の世界は天国でも地獄でもない別の世界なんだろう。その世界で友達の猫が安らかにのんびりと、ごろごろ喉を鳴らしたりしながら暮らしていますように。

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