日常漂流記

インド専門何でも屋で食べていくことを本気で目指すアホ

帰国して猫

日本に帰ってきてました。

帰国してからバイト三昧で、こうなるとインドのあの時間の流れが恋しくなります。そして日本は寒い。

12月から某放送局でもアルバイトを始め、さらに1月からのカレー屋の準備もあり、新しいことだらけですが体調崩さないようにがんばります。

 

あ、猫を飼い始めました。

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いつか日本でランガルをやりたい

そのうち日本で食堂をやりたいなと思っている。

そこではインド料理を出す。インド人が家で毎日食べている豆カレーと野菜カレーとチャパティのセット。

これに値段はつけない。「お気持ち」でお金をもらう。

食べた人が、自分の懐具合や、お金を払いたいと思ったかどうかで、いくら払いたいか決める。
材料費や経費は公開する。でも原価分は払えってことじゃない。たとえばお金がない人や、料理やサービスに価値がないと思った人からはお金をもらわない。
もちろん全員がいつもタダで食べてるとそのうち続けられなくなるので、応援してくれるならお金はもらいたいと思うけど、その金額もその人の「お気持ち」次第。 

 

これを考えるきっかけになったのが、シク教徒のランガルと、坂口恭平だった。

 

人間の生活に必要なのは衣食住。
このうち「住」については坂口恭平が代表的で、3万円台で自分で家を建てるモバイルハウスを提唱している。
んじゃあ、私は「食」の分野で、誰でも生きていける、誰も排除されない環境を作ってみたいと思った。

「この仕事じゃ食べていけない」みたいな言葉を聞くことがよくある。
それって変だなと思っていた。衣食住以外のことに使うお金を稼げないのではなくて、最低限生きていくのに必要な「食べる」ことすらできない状態は、そういう状態に追い込む環境や状況は、おかしいと思う。
「食べて」いくために、やりたいことを捨てたり、過労死するほど働いたりするのは、どう考えても変だ。

だから、お金がなくても食べていける場所を作ろうと思った。
でも私は大金持ちではないから、一人で無償の奉仕活動を続けていくことは難しい。
じゃあ同じような考えの人たちや、私を応援したいと思ってくれる人たち、単純にお金がある人たちからお金をもらえばいいやと思った。

 

貧乏人もお金持ちも同じ空間で同じ食べ物を食べる、という思想は、シク教徒の「ランガル」という考え方・場所に体現されている。
ランガルでは誰であっても無料でご飯が食べられる。パルシャードもそうだ。なぜそれが無料かと言うと、人々がお金に余裕のある時に食材や砂糖菓子を寄付しているからだ。しかしそれは強制されるものではなく、「お気持ち」で自発的にされている。

 

こういうのをやろうと思ったわけです。

 

しかしインドは食材が安いけど、日本は高いからなあ。
食費を抑えて美味しくないものができたら本末転倒だし、私の今の料理スキルだとありあわせのものでカレーを作ることができないから、まだ難しいね。

 

というわけで、まあ、いつか自分でもやるけど、このアイデアはがんがん拡散してくれたほうが良いのでやりたい人はやってください。笑

 

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夜歩く原人

ちゃんと研究はしている。しているけど、怠けてもいる。
オールドモンクを浴びるほど飲んで、目的もなく街中をほっつき歩きたい夜だってある。夜はいつだってそんな夜。

 

人間に朝型や夜型なんてないという話を聞いたことがある。
夜型人間は、原初の太陽と共に寝起きする人間生活には見られなかったことで、電気が発明されて夜でも明るくなってから生まれたのだとか。

でも、本当にそうかなあっていつも思う。

夜型人間はずっと昔からいたんじゃないか。夜型の遺伝子のようなもの、夜になるとどきどきしたりわくわくしたりそわそわするような血の感覚は、ずっと昔の人間にもあったんじゃないかな。

その大昔にはまだ電気が発明されていなかったから、月明かりだけを頼りに夜の森の中を散歩する人。暗闇の中で川がさらさらと流れている音を聞いて、野生の動物がうなったりがさがさしている音を聞いて、心から安らぐ人。自分の手すら見えないほどの真っ暗な暗闇の中で、ようやく安心することができる人。
太陽と共に生活できないから、他の朝型の人間よりもひ弱だったり、生き残るのが難しかったりして、「原初の人間に夜型はいない」とされているだけかもよ。

 

私が夜にあまり眠れないのは、夜になると頭が冴えるのは、夜になると散歩したくなるのは、もしかしたら私の先祖の誰かが夜型だったからかもしれない。

 

 

よく飲んだあとに酔っぱらった眼で朝日を見るのが好きだ。朝日を見てから眠りたい。

 

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ムーング・カ・ダール(緑豆カレー)の作り方

題名の通りです。相変わらずがっつり料理に逃げてます。

まあ、ムーングを使ったカレーは手間暇がそんなに掛からないので、ちょっとした気分転換に最適なんですよ、と言い訳。

 

ムーングってのは緑豆のことです。そのまま生で食べると、もやしの味がします。ダールっていうのは豆の総称なんですが、転じて豆で作ったカレーのことを指します。

もともとインド料理の名前は、食材や調理法を並べただけなんです。

たとえばアールー・ゴービーというじゃがいもとカリフラワーのカレー炒めは、「アールー」が「じゃがいも」、「ゴービー」が「カリフラワー」の意味です。だからカレーの名前を見れば、何を使った料理かすぐにわかります。

ちなみに、インドではアールー・ゴービーのようなものをカレーとは呼ばず、「サブジー」と呼びます。直訳すると「野菜」の意味ですが、野菜とスパイスを使ったおかず的なカレーを意味します。

 

前置きが長くなったけど、作り方をご紹介。(ところで日本で緑豆って簡単に手に入るの?)

 

【材料(1人分)】

ムーング 50g〜80g
完熟トマト 小1個(ミニトマト2個くらいのイメージ)

ジンジャーガーリックペースト 小さじ1

ターメリックパウダー 小さじ1くらい

クミンシード 2〜3つまみ

赤唐辛子 お好みで

ギーorバター 10gくらい

【手順】

1. 豆を濁らなくなるまで洗う。

2. 10分くらい水につけとく。

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3. 適当な量の水で煮る。(多めが良い)
4. 中火で煮てアクを取る。

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5. アクを取り終わった気がしたら弱火にして鍋に蓋する。
(吹きこぼさないように注意)

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6. スプーンで簡単に潰れたらOK。
7. ターメリックを入れて少々煮てからボウルに移す。

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8. 鍋で溶かしバターを作り(ギーを使い)、クミンシードと唐辛子を投入。(テンパリング)

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9. 香りが出たらトマトざく切り投入。

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10. 中火〜強火で潰しながら混ぜる。
11. ジンジャーガーリック投入。
12. 煮た豆を汁ごと投入。潰す。

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13. 塩で味を調えて完成。

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ざっくりした分量と雑な手順で、私がいかにレシピの説明に向いてないかはっきりわかりますね。

ともかく、これで美味しく作れるはずです。ジンジャーガーリックペーストが日本で売ってたか覚えてないですが。まあ、すりおろしでも対応できるんじゃないでしょうか。(雑)

ちょっとインド歴を書き出してみた

インド歴って何だよと思いつつ。私の経歴のほとんどがインドに関するものだったということに気づく。
こうやって書いてみると、2017年ってインドのことを勉強し始めて10年目になる節目の年なんだなあ。
インド研究で食べていくことを決意してしまった以上、もう私の人生からインドが離れることはない。やっと捕まえたぞ。いや、捕まえられたのは私かもしれないけど。


以下、インド歴↓↓↓↓


2005年秋、大沢たかおがインドを歩いている映画(深夜特急の映画版)を見て「そうだインド行こう」と思う。

2005年冬、ヒンディー語専攻がある大学の存在を知る。受験勉強開始。

2007年春、外語大ヒンディー語専攻入学。インドに満ち溢れた日々。

2008年春休み、大学の修学旅行で初インド。予想通りハマる。ガヤで生卵を食べて激しく腹をくだす。

2009年春休み、コルカタでホームステイ。滞在先のおじいさんから分離独立の体験談を聞く。インドの社会問題に興味を持つ。

2010年春休み、一人で北インド旅。詐欺にあったり砂漠で迷子になる。インド滞在中に母に連絡し「就職は無理。進学したい」と話す。

2011年春休み、一人でインド一周。カンニャクマリで朝日を見てたら祖父から国際電話がかかってきて大学院の合格を知る。その後デング熱で倒れる。

2011年春、大学院進学。入学早々にテーマを変更し、インドの紛争の研究をしようと思う。(元々は分離独立の研究をしようと思ってた)

2011年夏、アムリトサルに10日間滞在。毎日国境に行ったら兵士に怪しまれて尋問を受ける。シク教徒に惚れて研究テーマを再び変える。(対ムスリム暴動を研究しようと思ってた)

2012年5月〜8月、デリーで調査滞在。夜中に熱中症になったことが思い出。インドで暮らすことと旅することの違いを知る。

2013年4月、就職。インドとまったく関係ない部署に入る。

2014年秋、会社辞めてインド行こうと思う。

2015年5月、留学手続きでデリーに行く。暑すぎて毎日ホテルに引きこもる。

2015年8月〜16年4月、会社辞めてデリーに留学。スラムのおばちゃんと出会う。サンタナの存在を知る。

2016年8月〜17年1月、デリーの学校で2年目を迎えるも、退学して日本の博士課程を受験する。

2017年3月、修学旅行以外で初めて誰かと一緒にインドを旅行する。

2017年春、博士課程入学。インド研究者を目指すことになる。

今、デリーで現地調査中。近所の人からは完全にネパール人だと思われている。なぜか大家も私をネパール人だと思っていたことが先ほど判明。

 

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ドキュメンタリー”1984, When the Sun didn't Rise"

奇跡的でありがたいご縁と幸運のおかげで、1984年のシク教徒虐殺に関する素晴らしいドキュメンタリー映画を作った監督さんと会い、そのフィルムスクリーニングに参加することができました。

Teena Kaur監督の撮ったドキュメンタリー、"1984, when the sun didn't rise"は、1984年にデリーで起こった暴動後を生きる人々を追った作品です。

www.youtube.com

 

Teenaはムンバイに住んでますが、主な撮影場所はデリーのTilak Viharで、数年かけてここの住人と信頼関係を築いてこの映画を撮ったそうです。このTilak Viharは暴動の被害者が集まって住んでいるエリアで、私が現在調査している場所でもあります。

作中では泥棒で生計を立てている、というかドラッグを買っているドラッグ中毒の男性も出てくるんですが、その男性が「1984年の出来事さえなければ、父親が生きていれば、俺たちは今頃アメリカで生活してたんだ」と話すシーンは、ハッと考えさせられるものがありました。

デリーの中でのTilak Viharの住人に対する差別は、今回調査をしている中でだんだんとわかってきました。彼らのことをanti-social peopleだとはっきり名指す人もいます。泥棒、レイプ犯、ドラッグ中毒者の住むエリア…それは一部では事実だけど、その背景に“1984”があったこと、いまアメリカに住んでいるインド人の誰かが、彼の代わりにそうなる可能性があったことを、忘れてはいけない。

 

Teenaとは上映前に一回、上映後に一回、お茶をしました。めちゃくちゃフランクで、チャーミングで、ちょっと天然ボケです。会うと刺激をもらえるし、なんか元気やヤル気が出てくる。

このドキュメンタリーを作ったTeenaを日本に呼んで、フィルムを上映する場を作りたいと思っています。ていうか、もう「日本に呼ぶね!!」と約束しちゃった。

とりあえず所属大学に掛け合ってみるつもりですが、他に何かいい方法や機会があれば、ぜひ教えてくださいな。

 

料理に逃げる日々

最近、料理にはまっている。というか、料理に逃げている。

書き起こしがつらすぎる。特に、ラージャスターニー訛りのヒンディー語を書き起こすのが本当につらい。

あまりこういう言葉は使いたくないのだけど、いわゆるuneducatedな人の使うヒンディー語は文法的にも間違っていることが多く、例えば被修飾語は女性名詞なのに形容詞(修飾語)を男性名詞にかけるように変化させたりする。

そこに加えてところどころラージャスターニー訛りやヒンディー語ではない単語が出てくると、もう……つらさ爆発。

まあ、単純に私のヒンディー語スキルが未熟だということですわ。

 

そんなわけで息抜きに料理してます。インドの家庭料理を教えてくれるおばちゃんがいるので、素朴な味のカレーを毎日作って食べております。

そのうちレシピ公開します。

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